時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

靖国神社と国家の責任

 靖国神社については、国家の戦争責任の立場から非難されることが少なくありません。日本国の侵略行為の責任を問うというスタンスに立った近隣諸国からの非難に加えて、国内の責任論にも、国民を戦地に駆り立てるための舞台装置としての靖国神社の役割を糾弾する意見もあります。それでは、戦没者と国家の責任とは、どのようにあるべきなのでしょうか。

 もし、舞台装置論が正しいとすれば、いずれの国家も、戦没者を祀ったり、慰霊する行為は、国民を騙す行為ということになります。しかしながら、人類の歴史は、戦争の連続であって、自国の滅亡は自国民の滅亡をも帰結したのであり、これは、現在にあっても、ジェノサイドがなくならないことによって証明されています。日本国は、海に囲まれた島国であったために、民族抹殺の恐怖を経験したことはありませんが、大陸にあっては、こうした経験を持つ民族は多数あるのです。この歴史を考えますと、自国民を守るために戦って命を落とした人々を慰霊することは、人間の本性に適っていると言えます。この側面を考えますと、国家が、戦没者の方々を慰霊する行為を否定することの方が、余程、国民に対して無責任な行為と思われるのです。

 戦争は絶対悪であって、その戦争への国民の参加を是認するような如何なる行為も、すべて絶対悪とみなしますと、むしろ、人間性を失ってしまいます。今日の日本国の平和と繁栄が、先の戦争によって殉じされた方々の尊い犠牲を礎としていることを考えますと、国家は、責任を以って、靖国神社における慰霊を蔑にしてはならない、と思うのです。

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