時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

"話し合い主義"という原理主義

 北朝鮮によるミサイル発射実験は、”話し合い”、つまり、外交手段が如何に空しいものであるのかを、まざまざと見せつける結果となりました。六カ国協議まで設けて”話し合った”核査察の問題も、ミサイル騒動でうやむやにされてしまいそうです。

 ところで、核やミサイル開発といった安全保障上の脅威や拉致事件などの国際犯罪が起きるたびに、”話し合いによる解決を”、と訴える人々が登場してきます。しかしながら、全てが話し合いで解決できると考える思考パターンもまた、一種の自覚せざる原理主義のように思うのです。刑法があれば犯罪がなくなると考えことはナンセンスなように、軍事力なくして防衛ができると考えることも非現実的です。また、無法国家が、話し合いで納得し、自己の犯罪行為を反省して償うとも思えません。

 犯罪でも何でも”話し合い”を主張する人々は、もしかしますと、人一倍に自己正当化や美化を望んでいる人々なのかもしれません。この主張を続けている限り、常に自分自身を正義の側に置いて、他者を公然と攻撃することができるのですから。”話し合い原理主義者”にかかれば、現実的な対応を議論しただけで、悪者扱いされてしまうのですから困ったものです(物語のヒーローは常に悪者をやっつけるものですが・・・)。話し合い主義者の方々は自己陶酔するのではなく、ぜひ、現実に目覚めていただきたいと思うのです。

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