時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

原爆の甚大な被害こそ核の抑止力

 今年もまた、長崎市への原爆投下によって、尊い命を失われた方々を悼む慰霊の日を迎えました。先日の広島市での平和祈念式典では、広島市の秋葉市長は、唯一の被爆地の立場から、核の抑止力を否定されましたが、この発言に、しばし考え込むのです。

 被爆地の惨状は、核保有国の核の使用を思いとどまらせる心理的な抑止力となってきたことは確かです。核の恐怖とは、自国民が、広島や長崎と同様の悲劇的かつ壊滅的な被害を蒙ることであり、この恐怖があってこそ、核の抑止力は働いてきたのです。もし、広島と長崎のすさまじいまでの被害が知られていなかったならば、核保有国は、安易に核を使用したかもしれません。戦後半世紀を越えて、第3の被爆地が歴史に記録されないのも、ひとえに、広島と長崎が払った尊い犠牲あってのことなのではないかと思うのです。

 このように考えますと、核の抑止力そのものを否定することには、疑問を感じざるを得ません。核廃絶への道はまだまだ遠い段階にあるのですから、被爆地としてなすべきは、核の抑止力が高まるように、その悲惨な体験を広く伝え、イランや北朝鮮に対しても、核放棄に向けて積極的に働きかけることなのではないでしょうか。

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