時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

新大久保や鶴橋で反韓デモをする意義

 東京の新大久保や大阪の鶴橋で反韓デモが行われることについて、小田嶋隆氏などからは、訴える矛先が違う、との批判があるようです。デモ隊が向かうべきでは、一般の在日韓国・朝鮮人の住む地域ではなく、日本国政府や在日韓国大使館…ではないか、と…。

 反韓デモの主張は、主として在日韓国・朝鮮人に対する優遇策の廃止ですので、政策的な要求をするならば、政府や政治家に訴えるべきことは、それはその通りです。実際に、多くの日本人が、この問題について政府が政策的な対応を採ることを望んでおります。しかしながら、その一方で、一般の日本人の声を、在日韓国・朝鮮人の耳にも届ける必要があるのではないかと思うのです。これまで、我が国では、在日韓国・朝鮮人の不利なことがあると、民団や総連などの激しい抗議を受けてきました。一般の民間人でさえ、”つる仕上げ”にあった日本人も少なくないのです。マスコミへの影響力が拡大してからは、テレビなどを通して、嫌と言うほど、一般の日本人は、韓国・朝鮮側の主張を聞かされております。一方、反韓デモは、許可を受けて行われていますし、暴力的なものでもなく、マスコミが日本人の本音を”検閲”して報じないとしますと、在日韓国・朝鮮の人々が、日本人の主張を聴く機会は、皆無となります。反韓デモが、新大久保や鶴橋で行われることには、主張の伝達という意味で、意義があるのです。

 在日韓国・朝鮮人問題は、日本人の生命、身体、財産に関わる治安の問題であると共に、国家の安全保障上の問題でもあります。在日韓国・朝鮮の人々やその支持者は、ステレオタイプの論法で反韓デモを批判するよりも、まずは、デモの要求に耳を傾け、日本人の多くが憤っている理由を、理解すべきと思うのです。

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