時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本国統合問題を語る記紀神話:日本書紀と古事記において原初の神様が異なる理由

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。『日本書紀』と『古事記』は似て非なる史書であることは、原初の神様が異なることにおいて認めることができます。『日本書紀』の本書の説は、「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」ですが、『古事記』は、「天御中主神(あめのみなかぬし)」となります。日本に現れたという最初の神様は、国家の成り立ちを解明する重要なヒントとなるはずなのですが、なぜ記紀において神様が異なっているのか、その理由については、研究史上、いまだ説明がなされておりません。
 
ここで、前回お話いたしましたように、『魏志倭人伝』によると、3世紀の日本国は卑弥呼を女王に共立した30ケ国連合と、狗奴国連合の二大勢力とに二分されていた点を思い起こしていただきたいと思います。所謂『魏志倭人伝』という文書は、中国三国鼎立時代において、魏と同盟していた女王国側(卑弥呼を共立していた30ヶ国)の動きを魏朝側から記録した史書です。このため、女王国側をいわば「日本国政府」として認識しており、一方の狗奴国連合については、女王国と敵対する曖昧模糊とした反抗勢力として捉えています。

ところが、「狗奴」は「くに」と訓んだようであり、狗奴国は国家体制を整えた一大勢力であった可能性があるのです。女王国と狗奴国と間に戦端が開かれると、女王国は、狗奴国になかなか勝利することができません。このことが示すように、女王国が30ヶ国からなるのでしたならば、狗奴側にも同等の数の国々が連合しており、すでに一国家の態を成していたとも考えられるのです(女王国側が、「卑弥呼(独身女子の日御子)を共立していたのならば、狗奴国は、「卑弥弓呼(独身男子の日子(彦)御子・弓の名手?)」を共立していたようです)。この3世紀の2大勢力の問題が、日本国統合問題とかかわらないはずはありません。すなわち、歴史上のある時点で、この2大勢力は統合という道を選んだはずなのです。

日本書紀』の本書の説が「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」で、『古事記』が「天御中主神(あめのみなかぬし)」である理由について、『日本書紀』は狗奴国をより重視し、『古事記』は女王国をより重視しているという起源相違説を、一つの推論として提起できるのかもしれません。むろん、起源相違説は、間違っているかもしれませんが、記紀神話に国家統合の経緯が表現されているという仮定のもとで、記紀神話を分析してゆくと、紆余曲折の日本の国家統合のあり様が、いきいきと見えてくるかもしれません。

(次回に続く)。

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