時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本国統合は3つの国の統合史

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 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回は、『魏志』に登場する女王国(30ヶ国)と狗奴国(最大70ヶ国)の2大勢力の問題が、『日本書紀』と『古事記』において原初の神様が異なる理由ではないか、と述べさせていただきました。では、この2大勢力の問題のみによって日本国の統合の経緯は説明できるのであるのか、と言えば、そうではありません。
ここで、記紀神話を見てゆくことにしましょう。

 記紀神話によると、国生み神話で有名ないざなぎ尊は、日本の島々や八百神々を生み終わると、殊に尊い神々とされる天照大御神、月読尊、すさのお尊の3貴神を生みます。『日本書紀』と『古事記』は似て非なる史書ですが、特に尊い神々は、天照大御神、月読尊、すさのお尊の3柱の神様である点においては、一致しています。では、この3貴神は、なにを意味しているのでしょうか。

 ここで注目したい点は、3貴神には、それぞれ‘治’する場所、すなわち統治する場所が決められていることです。天照大御神は「天(古事記では高天原)」であり、月読尊も同じく「天(古事記では夜の食国)、そして、すさのお尊は「あめのした(古事記では海原)」となっており、3貴神は、それぞれの国々を、じょうずに統治しなければなりません。

 この3ヶ国を、日本にあった3大勢力と考えると、『魏志』と『晋書』から推測されてくる弥生時代の3大勢力の姿が見えてきます。前回、3世紀の日本は、女王国と狗奴国の2大勢力に分かれていたと述べましたが、『魏志』と『晋書』をよく読みますと、どうやら女王国側が、2つの勢力から成り立っていたようなのです。

 『魏志』によりますと、女王国(30ヶ国)を構成する邪馬台国の戸数は7万戸、奴国は2万戸、投馬国は5万戸となっています。ところが、『晋書』によりますと、30ヶ国からなる女王国の総戸数が7万戸なのです。この違いは、どうやら女王国の首都が邪馬台国であって、女王国(7万戸)は、すでに30ヶ国をそれぞれの構成国としていた奴国連合(2万戸)と投馬国連合(5万戸)によって成り立っていたと想定することによって説明することができます。7万(女王国)=2万(奴国)+5万(投馬国)であり、おそらく3世紀の日本の総戸数は、これに狗奴国の戸数を加えたものとなるでしょう(イラスト図参照)。

すなわち、奴国、投馬国、狗奴国の3大勢力の離合集散の歴史が、日本国統合の問題とかかわっており、その統合までの経緯は、かなり複雑であったと推測されるのです。3世紀には、奴国と投馬国が女王国連合を構成し、狗奴国と対立していましたが、ある時には、別の連合体が模索され、またある時には、3ヶ国による統合が試みられたこともあったでしょう。その統合が、ようやく完成期を迎えるのが8世紀であり、そこに至るまでの紆余曲折の歴史の複雑さが、『日本書紀』と『古事記』を似て非なる史書となしている理由でもあるのです。

(次回に続く)。

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