時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

核兵器は絶対悪か?-正当防衛の手段

 本日、68年目の原爆の日を迎え、広島市の松井市長は、平和記念式典にて原子爆弾を”絶対悪”として糾弾されたそうです。広島と長崎の悲劇を知れば、誰もが核廃絶を願うものですが、この問題、核兵器は”絶対悪”として片づけられるほど単純ではないと思うのです。

 アメリカでも、銃乱射事件が起きるたびに、銃規制を求める声が強くなります。確かに、銃には、殺傷能力がありますので、銃がこの世から完全になくなれば、銃を用いた殺人や強盗といった事件もまた消滅することでしょう(ただし、別の凶器が使われる可能性も…)。しかしながら、その一方で、多くの人々が、銃を護身用として購入しているように、他者からの危害から身を護るという役割もまた、否定することはできません。このことは、殺意や攻撃の意図を以って銃を保有している人がいる限り、銃には、正当防衛としての存在意義があることを意味しています。銃を持つ人と持たない人の間では、埋めがたき物理的な力の差が生じますので、前者は後者に対して、簡単に生殺与奪の権を握ってしまうのです。核兵器もまた、中国のように核兵器を実戦に使う意思を持つ国がある限り、”絶対悪”として、一方的に放棄することには慎重であるべきです。核の抑止力は、核攻撃を思い止まらせるという意味において、正義に適っているのです(少なくとも、ミサイル迎撃技術が確立されるまでの間は…)。

 絶対悪があるとすれば、核兵器そのものよりも、それを用いて他国を攻撃したり、脅迫したり、何かを奪おうとする人間の悪意です。核兵器を絶対悪とみなして一方的に放棄した結果、暴力国家だけが核兵器保有する世界が出現するとしますと、この予期せぬ結果に、平和を望む善良な人々であっても、後悔するのではないでしょうか。

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