時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「トロイの木馬」伝説:鉄と塩の戦いA Weak Point of Iron Products is Sea Water

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。

 本ブログの9月24日付の記事で、「トロイの木馬」はフェニキア人の遠洋航海用の大型船のことではないか、という仮説を提起させていただきました。すなわち、トロイとは、‘鉄の民’として知られたヒッタイト帝国のことであり、ヒッタイト帝国が、‘海の民’のフェニキア人によって滅ぼされたことが、「トロイの木馬」伝説として、後世に伝わったのではないか、というものです。ヒッタイト人は、錬鉄を発明した人々であり、鉄製の車輪を持つ戦車と鉄製の武器で小アジアからメソポタミアにかけての広大な地域を支配し、大帝国を築いています。その滅亡が伝説化されたことは十分にありえます。

 では、仮に、「トロイの木馬」がフェニキア人の遠洋航海用の大型船を意味するのならば、フェニキア人の大型船によってトロイが滅んだという状況は、具体的にはどのような状況を意味したのでしょうか。たとえ、「トロイの木馬」が遠洋航海用の大型船であったとしても、乗船できる人数は限られており、僅か一艘でヒッタイト帝国を滅亡させたとは、考え難いことになります。この疑問を解く鍵は、カルナック神殿の壁面の碑文としてのこる「ヒッタイト帝国は‘海の民’によって滅んだ」という一文にあるようです。

 そもそも、エジプトの史料の伝えるところの「ヒッタイト帝国は‘海の民’によって滅んだ」という表現は、奇妙です。といいますのは、ヒッタイト帝国の首都のハットゥシャは内陸部にあるため、たとえ海戦において‘海の民’側が勝利したとしても、それは局地戦であって、真の戦勝は、首都ハットゥシャの陥落を待たねばならないからです。すなわち、講和とは異なり、国家の滅亡のかかった戦争においては、首都の陥落が必要条件となるのです。

 例えば、古代史上名高いローマとエジプト間の戦争においても、ローマ側のオクタヴィアヌス(後のローマ帝国第一代皇帝アウグストゥス)は、アクティウムの海戦でアントニウスクレオパトラを破っただけでは不十分で、その首都、アレクサンドリアを陥落させることで、はじめてプトレマイオス王朝を滅亡させ、エジプトを属州化させています。

 はたして‘海の民’は、どのようにして内陸部の首都を攻略することができたのでしょうか。この点につきましては、以下のように、実に面白い2つの仮説を立てることができます。

 1)ギリシャ側に参加していたフェニキア人が、その遠洋航海用の船を改造して、船底に車輪をつけることで陸を走行できるという新たな攻城機を開発し、内陸部のヒッタイトの首都、ハットゥシャを陥落させた。

 2)「トロイの木馬」とは、フェニキア人自身を意味し、ヒッタイト帝国の首都のハットゥシャに秘かに入り込んだフェニキア人たちによって、海水が撒かれたため、鉄製の車輪、武器、武具がみな錆びてしまい、ヒッタイト側の軍事力が無力化した。このため、ヒッタイト帝国はあっけなく滅んだ。すなわち、フェニキア人は、鉄製品が塩水に弱いことを熟知しており、これを応用したというものです。

 「トロイの木馬」として想像されてくる姿からは、第一の仮説が考えられますが。鉄製品が塩に弱いという点を考えますと、案外、海水が、最大の‘武器’となったのかもしれません。海水を撒いたところを鉄製の車輪の戦車が走っただけで、車輪は錆びてしまったはずですし、洗い落とすだけの十分な真水が無ければ、効果はさらに期待できたはずです。

(次回に続く)