時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

皇室と国民の知る権利

 本日、伊勢神宮では、遷御の儀が古式ゆかしく執り行われ、20年を経て天照大御神の御霊が八咫鏡と共に真新しい社殿にお移りになられました。式年遷宮への関心は高く、今年の伊勢への訪問者は、1000万人にも上ると報じられています。

 伊勢神宮が古代より伝える我が国の伝統が人々を魅了する一方で、俗化が甚だしい皇室の危機は、差し迫ったものとなりつつあります。この奇妙なコントラストは、東宮家に関する詳しい情報が、国民に隠されていることにもよります。神武天皇以来の皇統に関しては、記紀の記述を以って、誰もが姻族も含めた由来を知ることができます。しかし、特に戦後においては、姻族に関して不明瞭となっており、小和田家に至っては、3代前が不明とされております。出自不明の状態は、国民に言い知れぬ不安を与え、疑いの心を芽生えさせることは言うまでもありません。何故ならば、外国や新興宗教団体などによる”皇室乗っ取り”の可能性が否定できなくなるからです。東宮家の行動は、日本国の良識や常識から著しく逸脱しており、不都合な情報の隠蔽、虚偽情報の流布、そして、特定集団の動員による公務の演出などは、到底、一般の国民には受け入れ難いレベルに達しています(演出を見せられている国民の方が、白々しく感じてしまう…)。国民の誰もが、小和田家が、何処の誰であるのか知りたいと思うのは、当然のことなのです。

 かつて、皇室の神聖性を保つために設けられていた”菊のカーテン”は、今では、汚濁と腐敗を隠すため悪用されているかのようです。このような危機的な事態に陥ってしまった限り、皇室に対する国民の知る権利は、保障されて然るべきなのではないかと思うのです。”知らずとも尊敬せよ”とする意見もありましょうが、それでは、国民に無理を強いることになります。清き明き心こそ、古来より日本国に伝わる精神であったのではないでしょうか。

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