時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:進化論といいながら退化論を唱える人々には騙されないようにしましょう

  今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。本ブログにて、進化論の観点からの人類観察を試みておりますが、進化論the theory of evolutionと所謂‘退化論the theory of degeneration’とを混同している人々がいるようです。そこで、進化論と退化論との区別について、述べておくことにしましょう。
 
なぜ、進化論の観点からの人類を観察する必要があるのかと申しますと、生物の進化という現象は、大きく見てみますと、単細胞から多細胞へ、単純構造から複雑構造へと進化していることが認められるからです。換言いたしますと、進化というものは、単なる‘適者生存’ではないのです(適者生存ですと、いかなる環境にも耐えられるゴキブリのような生物が、生物進化の行く先ということになってしまいます)。
 
そして、私たち人類は、このような生物の進化の大きな流れにおきまして、時系列的に、最後のほうに位置しているのです。このことは、より多細胞化、複雑構造化が進んだ時点におきまして、人類が発祥してきていることを意味しております。
 
生物学的に、人類が、あらゆる生物種のなかで、最もIQが高いことに示されますように、人類は、生物の複雑化の結果として、より高い知能と感情とを有するようになり、高度で複雑な社会・経済・産業・法制度を構築していったと言うことができるでしょう。すなわち、文明とは、人類が後出の生物であることと関係があるのです。進化論にもとづきますと、人類は、よりすぐれた文明を、これからも築いてゆくことができる可能性を保有していることになるでしょう。
 
ところが、この一方で、‘進化論’と言いながら、その内実は‘退化論’となる説を主張している人々がいるようです。退化論とは、時間の経過によって、機能などが退化してしまう現象のことですので、人類にこれをあてはめますと、人類の‘原始人化’や‘野獣化’ということになってまいります。
 
確かに、人類は劣化の危険性も有していることも確かなのですが、問題は、進化と退化が混同されていることにあります。社会・共産主義者がその好例なのですが、「進化」や「進歩」と言いながら、その行く先が、人類世界の劣化としか考えられに様な世界である場合が多々あるのです。
 
進化も退化も時間の経過によって生じるものですので、’人類の未来’について議論する場合には、進化論といいながら退化論を唱える人々には騙されないように気を付ける必要があるようです。
 
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(続く)