時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人類の進化の多様性がもたらす危機

 今日は、久しぶりに、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回、本年1月22日付本ブログにて、「野獣型人類 beast humanと神様志向型人類god(goddess)-minded humanによる異なる2つの‘理想の世界像’」とする副題にて、進化の過程において、野獣型人類 beast humanと神様志向型人類god(goddess)-minded humanという、2種類の人類が、生じてしまっている問題を扱いました。
 
では、なぜ、このように2種類の人類が生じたのでしょうか。疾病の治療も、その原因が解明されなければ、困難であるように、2種類の人類が存在してしまっている原因を、突き止めなければ、よりよい解決法を見つけることはできません。
 
人類は、これまで、猿人→原人→旧人→新人→現生人類といった順に、きれいに進化してきたと考えられてきました。しかしながら、昨今の研究によりますと、このような単純な図式で、人類は進化していったのではないようなのです。すなわち、源人の一部が猿人と混血し、旧人に進化した人々のうちの一部は、原人と混血して、さらに、新人に進化した人々の一部が旧人と混血し、さらには、混血同士での混血から、新たな進化が生じたといったように、多種多様な進化の枝分かれによって、多種多様な人類が発生してしまっているようなのです。
 
こうした進化の過程が、‘個性’といったレベルの問題であれば、さほどの危機を人類にもたらすことはないのですが、それがそうではなく、かなり憂慮すべきレベルの問題であるようなのです。
 
猿人や原人は、当然、類人猿に近いわけですので、猿人や原人との混血率の高い人々は、何事につけても動物的に判断をすることになります。すなわち、物事の判断を善悪で決めるのではなく、類人猿に近ければ近いほど、動物的な自己保存本能にもとづいて、すべてを決める傾向にあることになるのです。このように、物事の善悪の判断する能力が、まったく欠如している人々こそが、野獣型人類 beast humanであることになるのでしょう。
 
こうした問題は、進化の多様性にもとづいているだけに深刻であり、人類はどのような社会や世界を築くべきであるのか、といった問題と結びつき、野獣型人類 beast humanと神様志向型人類god(goddess)-minded humanとの間に、衝突が起こることを、予見するものともなっているのです。

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(続く)