日韓請求権協定の誤解5-日本から引き上げた韓国人の財産は?
これまで、数回にわたり、日韓請求権協定にまつわる誤解について記事を書いてきましたが、この問題には、さらなる謎が残されています。その一つは、終戦後に、日本国から引き揚げた韓国人の日本国内に残された財産の処理です。
アメリカ政府は、講和条約の作成過程にあった1951年7月の時点では、日韓の請求権問題については、朝鮮戦争による混乱を考慮して、相互に相手領域における請求を遮断する方法を構想していたようです(この資料からは、アメリカ政府は、日本国に請求権があることを認めていると読める…)。しかしながら、実際には、朝鮮南部に残された日本国、並びに、当地域から引き揚げた日本国民の請求権が放棄される一方で、日本国から引き揚げた韓国人の請求権が完全に放棄されたか、否かは、不明となりました。何故ならば、当協定の議事録には、「韓国側代表は…戦闘状態の終結から1947年8月15日以前に帰国した韓国民が日本国において所有する不動産については、慎重な考慮が払われるように希望を表明し、日本側代表は、これに対して、慎重に検討する旨答えた」とする一文があるからです。その後、この日本国内の韓国人財産がどのようになったのかは分からないのですが(どなたかご存知でしたらお教えいただきたい…)。、仮に、日本国政府が、韓国に帰国した韓国人に対して、処分権を含めて日本国内の不動産所有権を保護したとしますと、相互放棄は、全くの幻想であったことになります。通常は、敗戦国の国民であれ、合法的に取得された財産は、賠償に充てられない限り保護されますので(韓国には賠償請求権はない…)、日本国民財産の一方的請求権放棄は、異例中の異例であったことになります(日本人が朝鮮半島から追放される一方で、韓国人の本国への帰国者は少なかったとも…)。また、戦前から日本国内に韓国人が不動産を含む財産を保有していたとしますと、”過酷な植民地支配”も幻想となります。
しかも、戦後の混乱期には、少なくない在日韓国人が日本各地で不動産侵奪を働き、今日まで、不法占拠を続けてきました。日韓請求権協定の交渉において、不動産侵奪の問題が議題に上ったのかどうかも不明であり、この不透明さこそが、今日に至るまで、在日韓国人をめぐる様々な問題を残したのではないかと思うのです。
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