時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人類の人類たる所以は脳の進化

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。前回の本ブログ(6月2日付)にて、地球上における生命体のはじまりにつきましては、「生命単一起源説A Theory of the Single Origin of Living thing」を唱えることができる、と述べました。
 
では、その極く極く微小であったはずの生命体は、その生命体のままに留まらず、なぜ、進化という過程をたどることになったのでしょうか。地球上における生命の出現も謎であれば、進化という現象の発生も謎であることになります。
 
このことを考える前に、まず、‘進化’とは何かという用語の定義の問題を整理しておかなければなりません。それは、生物の時系列的形状・資質変化をめぐっては、進化なのか、退化なのか、それとも、分化であるのか、という認識の問題があるからであり、進化をめぐる議論に混乱を招きやすいからです。すなわち、何を判断基準として、‘進化’として見なすのか、という価値判断の問題があるようなのです。
 
例えば、「人類は、類人猿から進化した」という表現は、至極当然の表現なのですが、尾っぽの「有る・無し」において「有る」を進化の判断基準にしてしまいますと、人類の尾骨は、類人猿の持つ尾が退化したものですので、「人類は、類人猿から退化した」という表現となってしまいます。さらには、尾骨の強度を判断基準としてしまいますと、カンガルーは、生物進化の最先端にかなり近い生物であるということになってしまいます。
 
では、人類への進化の問題を考えた場合に、判断基準として位置付けられるのは、何であるのかと言いますと、脳であることになるでしょう。生物学につきましては、私はまったくの素人なのですが、生物における脳の発展過程に注目してみますと、あたかも地層がつくられるように、もとの脳組織を残しながら、徐々に、複雑な組織が加えられてゆくことによって、下等生物から高等生物への進化が起こっているそうです。そして、その最先端が、人類ということになります。
 
すなわち、脳は、退化せずに、進化し続け、その結果として人類が生じてきたことになるのです。
 
このことは、‘進化の結果として時系列的に最後に加わった脳組織’が、人類の人類たる所以であることを示していることになるのです。そして、この‘進化の結果として時系列的に最後に加わった脳組織’は、果たして現在の地球上の人類のすべてに備わっているのか、という問題も、提起されてくることになるでしょう。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
  
 
(続く)