時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「野獣型人類 beast human」の発生原因

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。6月9日付け本ブログにおきまして、「地球上における生命の出現も謎であれば、進化という現象の発生も謎である」と述べました。その際に、進化には、‘進化である’と見なす価値基準が必要であることも、指摘させていただきました。例えば、得意分野というものがありますように、走る能力、飛ぶ能力、長生きする能力(動物ではガラパゴス亀がこの点では最強)など、何を基準に優劣を判断して、進化と見なすのかによって、「百獣の王」ならぬ所謂「進化の王様」は、誰であるのか、は異なってきてしまうのです。
 
しかしながら、多くの人々が、「進化の王様」は人類であると考えているのではないでしょうか。それは、人類が、脳という得意分野を持っているからです。適者生存でしたならば、どんなに力の強い動物でも、人類は、その知能を用いることで捕えることができます。弱肉強食が適者生存でしたならば、やはり人類が「進化の王様」ということになるでしょう。
 
何やらあたりまえのことを述べているようですが、ここで、わたくしたちは、‘脳の進化とヒューマニティーとの関連’という困難な課題に直面していることになるのです。
 
脳の進化をめぐりましては、あたかも地層がつくられるように、もとの脳組織を残しながら、徐々に、複雑な組織が加えられてゆくことによって、下等生物から高等生物への進化が起こっているそうです。このような過程を通しまして、人類という、より高等な脳組織を持つ種が出現したということになるでしょう。では、ヒューマニティーは、どこで加わったのでしょうか。仮に、最後に加わった脳組織に、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」のように、ヒューマニティーを重視する思考回路の源泉となる組織が備わっていたのでありましたならば、動物と人類が隔絶している理由を説明していることになります。
 
しかしながら、進化には枝分かれがあり、多くの人類には最後に加わったはずのヒューマニティーの源となるような脳組織が、未だに、加わっていない人類が存在しており、この人々が、本ブログにて、再三にわたって述べてまいりました「野獣型人類 beast human」なのではないか、ということになるのです。『聖書』の神様が、「野獣型人類 beast human」が人類の将来において脅威となることを心配しておりましたように、「野獣型人類 beast human」は、太古におきましても存在しており、そして、現在でも、存在し続けている理由は、進化論によって説明されえる、ということになるでしょう。
 
「野獣型人類 beast human」型の国々や人々が台頭している国際社会の現状に鑑みますと、‘脳の進化とヒューマニティーとの関連’の問題は、個々人のみならず、世界レベルにおきましても、人類の存続の如何とかかわる様々な問題と繋がっております。‘脳の進化とヒューマニティーとの関連’をめぐりましては、動物行動学などからのアプローチもありますが、あらゆる学問分野からの解明が急がれている課題として位置付けることができる、と言うことができるのです。
 
 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。
 
 
(続く)