時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

太陽系外惑星の生命体の問題は「人類とは何か」という問題の解明に資する

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。ここ数次にわたりまして、『聖書』「暴露録(黙示録)The Revelation」に載る「最後の審判の日」をめぐって、「パナマ文書thePanama Papers」について扱っておりますが、本日は、「最後の審判の日」との関連で、昨今の宇宙関連のニュースに注目してみましょう。
 

去る5月11日に、NASAアメリカ航空宇宙局)は、新たに1284個の太陽系外惑星の存在を確認したと発表しました。確認された惑星群のうち550個は地球のような岩石質の大地があり、さらに9つの惑星は、ハビタブルゾーンと呼ばれる、生命の誕生に適した環境に位置しているそうです。

 惑星の存在が新たに多数確認できたのは、観測から得られた惑星候補のデータをコンピューターで統計的に分析し、確度99%と判定したものを自動的に惑星として認めたからであるそうで、その信憑性には疑問はありますが、いずれにいたしましても、太陽と地球の関係に非常に近い関係にある、恒星と惑星は、おそらく宇宙には存在しているのでしょう。

 
さて、それでは、その惑星には、多種多様な生命体があって、人類と同様に、高い知能を有する生物も存在しているのでしょうか。NASAは、存在している可能性に言及しておりますが、この問題は、「生命とは何か」、「人類とは何か」という課題をも人類につきつけているようです。
 
仮に、その惑星に生命体がありましたならば、その生命体は、進化の結果として、どのような姿に、そして、どのようなメンタリティーに進化しているのでしょうか。
 
地球に非常に近い環境にあったならば、必ず、原初の生命体は、哺乳類、さらには、類人猿へと進化することなどを通して、人類に近い姿やメンタリティーに進化することになるのか、否か、は、その惑星に存在している生命体の姿を確認すれば、解明できることになります。現在の科学技術では、確認作業は困難なことであり、いかなる生命体すら存在していない可能性もあるのですが、仮に、観察することができましたならば、宇宙共通の生命進化の必然の結果として、人類が出現したのか、否か、人類の出現には自然の摂理、それとも、神の摂理ともいうべき何らかの法則があるのか否か、この点が、明らかとなってくる可能性があるのです。

すなわち、その惑星の最も知能の高い高等生物が、人類とそっくりでしたならば、人類の姿を、その最終設計図、進化の到達点として、宇宙全体に適用されている何らかの‘生命の法則’があることになるでしょう。
 
さらに、「最後の審判の日」の問題を踏まえますと、その惑星にいる人類のような生命体のメンタリティーの問題は、むしろ重要です。次回は、メンタリティーの問題について扱ってまいります。
 
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(続く)