時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人事問題をめぐる「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」の争いはどちらが有利か

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。生物は、とかく‘群れ’をつくって行動する場合が多いようです。チンパンジーなどの類人猿もしかりであり、人類が、そのあらゆる行動・活動におきまして、組織をつくっていることと、一見、そう大差は無いように、見受けられます。むしろ、チンパンジーの方が、上下関係などの規律が厳しいようにも見えます。しかしながら、よくよく観察してみますと、人類と類人猿との間には大差があるのです。
 
その大差とは、チンパンジーは、一般的には、一つの群れによって、その集団を形成しておりますが、人類は、複数の‘群れ’によってその集団を形成しているという点にあります。チンパンジーの群れ社会では、群れだけがすべてであり、メンタリティーとしては、‘群れ以外のチンパンジーは、すべて敵である’という単純な精神構造となります。ところが、人類は、複数の群れによって、その社会を構成しているのです。したがいまして、人類には、自らの群れ以外の人々を敵として認識せず、協調してゆこうとする意思が働くことになるのです。
 
ところが、人類は、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」という2種類の人類が存在しているという問題を抱えております。「野獣型人類 beast human」は、チンパンジーに近いメンタリティーを有しておりますので、「野獣型人類 beast human」に人事権がありますと、組織人事に関しましては、チンパンジーの群れ意識が働くことになってしまいます。
 
すなわち、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」を‘群れの外の敵’として認識している「野獣型人類 beast human」は、人事権を掌握いたしますと、能力の有無よりも、自らの仲間であるという点のみを重視して、「野獣型人類 beast human」にポストを与えることになるからです。その結果、その組織からは、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」が激減して、「野獣型人類 beast human」が多勢を占める組織となってしまうのです。ネポティズムが、まさに、その典型となります。
 
こうした点を踏まえますと、人事に関しましては、「野獣型人類 beast human」が有利であり、今日、世界の多くの組織が、‘乗っ取られている’と非難されている原因ともなっていると言うことができます。
 
しかしながら、このような「野獣型人類 beast human」による仲間意識の人事査定には、‘そのポストに適した運営能力のある人物を就任させ、きちんとした組織運営を行わせる’という重要な観点が、まったく欠如していることになりますので、当該組織の能力の低下と評価のレベルダウンは免れ得ません。長い目でみますと、当該組織の消滅にもつながるような愚行人事となるのです。
 
 では、「野獣型人類 beast human」にとりましては、当然でありながらも、客観的視点からは愚行となる人事を、どうしたら防ぐことができるのか、おそらくは、「野獣型人類 beast human」には人事権を与えないという方法が肝要なのでしょうが、既に、「野獣型人類 beast human」に人事権がわたっている場合には、どうしたらよいのか、という点が、むしろ重要であるのかもしれません。
 
当該組織の解体、第三者機関による人事勧告など、さまざまな対応策が考えられますが、案外、‘ほおっておく’というのも一案であるのかもしれません。自助努力で組織浄化ができましたならば、それは、その組織には、まだ「神様志向型人類god(goddess)-minded human」が多少なりとも存在していることの証拠になりますし、壊滅いたしましたならば、その組織は、「野獣型人類 beast human」に完全に‘乗っ取られている’ということになり、もはや手の施しようもない状態であったということになるのです(自滅…)。
 
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(続く)