「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:進化論から社会・共産主義国問題を眺めてみれば
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。産業革命以降、人類の社会・経済システムは、基本的に企業活動を基盤とするようになり、雇用者と被雇用といった労使関係が生じ、これにともない、被雇用者が低賃金によって、劣悪な環境のもとに置かれるという問題が生じることになりました。こうした、社会・経済状況を背景として、社会・共産主義が台頭することとなり、その言い分は、「雇用者による搾取に反対し、労働にみあっただけの地位と経済力を要求する」という表現に集約することができるかもしれません。
確かに、この言い分は、劣悪な環境からの人類の解放という意味におきまして大義名分のように聞こえ、実際に劣悪な環境にある人々のみならず、世界中で‘よりよき世界’を求める多くの賛同者を得ることになったのではないか、と考えることができます。
しかしながら、進化論の観点から、社会・共産主義者の多くが、「野獣型人類 beast human」であると想定してみますと、この言い分は、奇妙な方向に進んでしまうことになります。「野獣型人類 beast human」は、先述いたしましたように、「① オスのチンパンジーにとって、群れにおける序列が、人生ならぬ‘さる生’のすべてとなっている」、「② 他者から略奪して配る猿が、‘偉い猿’である」というチンパンジー社会における2つの特徴を有しております。①の特徴を踏まえますと、社会・共産主義者が実際に政権を取りますと、政治・経済の両面におきまして権力の集中が起こることになります。そして、②の狩猟的性質ゆえに、当該国家は、軍事力があれば侵略的性格、無ければ、あの手この手の他者依存型の性格を帯びることになってしまうのです。
狩猟型の生物の生活パターンは、普段は、何もせずに怠惰、すなわち、所謂‘ぐうたら’に過ごしており、いざ他者の成果を採りに行く狩りとなりますと、徒党を組んで勇んで出かけてゆくという生活となります。すなわち、「野獣型人類 beast human」には、‘怠け癖’という特徴もあるのです。案外、この‘怠け癖’問題は、深刻でもあるのです。労働者による労働者のための国家でしたならば、みな、働き者になってもよいはずなのですが、その逆に、いかに怠けることができるかという怠け者の社会となってしまうのです。
狩猟型ですので、自らの努力が必要となる技術革新、生産性の向上などといった観点も欠けてしまいます。自由・市場主義体制の国々の人々のほうが、よほど働き者であると言うことができるでしょう。社会・共産主義体制の国々は、その怠けた分を‘狩猟’によってカバーしようといたしますので、問題は、深刻であると言えるのです。
そして、社会・共産主義国の歴史、ならびに、現在の社会・共産主義体制の国々の現状を眺めてみますと、人類には、「野獣型人類 beast human」が存在していることを明確に示していると言えるのではないでしょうか。多数の年金生活者によって巨額の財政赤字を抱えることになった昨今のギリシャ問題にも、この問題の一端を見ることができます。このように考えますと、やはり、世界の安定や秩序の維持の問題には、進化論によるアプローチは有効であるということになるのです。
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(続く)