時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

事実・認識・法が繋がっていない中韓の思想

 世界遺産登録問題をめぐる日韓の軋轢は、改めて、日韓の違いを浮き彫りにすることになりました。中韓との対立点の本質は、ある事実に対する認識の違いではなく、事実の有無に関する争いです。

 ”歴史は勝者によって書かれる”という格言があるように、過去の歴史を為政者が塗り替えたり、改竄することは、程度の差はあれ、古今東西で見られる行為です(オーウェルの『1984年』では究極の国家改竄を小説化…)。とりわけ中国では、史書の編纂は、新王朝にとりまして、過去の王朝を否定し、自らの統治を正当化するための国家的事業でもありました。冊封体制下にあった朝鮮半島もまた、史実より政治が優先する歴史観を共有しており、今日なおも、中韓両国は、前近代的歴史観から抜け出してはいません。また、これらの地域では、国際法の発展を見ることはなく、国家間関係も、パーソナルな人治に近いのです(歴史権威主義+人の支配)。

 一方、西欧では、ルネサンスを経て近代合理主義へと向かう過程で、政治と史実の関係は大きな変化を見せます。歴史学でも、事実を唯一の研究の拠り所とする歴史実証主義も誕生し、歴史学もまた、近代化の時代を迎えるのです。明治以降、日本国は、歴史実証主義の洗礼を受ける一方で、国際社会にあっては、国際法をも受容しました。法の世界では、事実こそが判断の基礎となりますので、日本国では、国家の行動(その連続が政治史)にあっても、事実から離れた判断はないのです(歴史実証主義+法の支配)。

 中国や韓国は、事実の有無などどうでもよく、”政治認識”としての”歴史認識”こそが重要であり、”外交的勝利”とは、相手国に自国の認識を押し付けることです(事実と認識との分離…)。加えて、国際法との繋がりも欠如しているため、慰安婦問題や徴用工問題でも、根拠となる事実の有無さえ確認しようとしないのです(事実と法との分離)。このような違いを考慮しますと、日本国が、迂闊に中韓の要求に応えますと、時代を数百年も逆戻りしさせることになるのではないでしょうか。

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