時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人類のメンタリティーの問題を進化論から解明することは難しい

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、本ブログにて、人類が「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」とに枝分かれした理由について、次回からは、どのような環境や条件によって、このような枝分かれが発生したのか、という点について、考えてゆくことにしましょう」と述べました。しかしながら、この問題の解明は、そうたやすいものではありません。
 
本ブログにおきまして、生命体の起源につきましては、単一起源説が正しいのではないか、と述べました。昨今、ニューホライズンによる冥王星の探査によりましても、生命体が冥王星に存在している可能性は低いようであり、ましてや、人類のような高等生物の存在の可能性は、皆無と言えるでしょう。すなわち、どのような環境下においても、生命体は発生するわけではないようなのです。
 
極めて希少な現象として生命体は出現したうえに、この地球上におきまして、その唯一、単一の生命体は、あまりに多種多様な種に枝分かれしてゆくことになりました。このように、未だに解明されていない奇妙な経緯を経ることで、人類は地球上に存在するようになっているわけですので、人類の枝分かれの原因を解明するにあたりましては、まずもって、その研究アプローチの妥当性から考えねばならないことになります。
 
人類種として、地球上には、多くの人種や民族がありますが、例えば、うさぎとかめの外見と身体機能の違いが歴然であることに較べますと、人類の外見につきましては、そう大きな違いはありません。
 
したがいまして、例えば、人類が二足歩行するようになった理由などは、生物学的な機能面からアプローチすれば、説明することはできます。しかしながら、身体的には大差が無いにもかかわらず、メンタリティーには大きな違いがある、という問題の原因を、機能面を重視した進化論から解明することは難しいのです。メンタリティーの問題、もしくは、仮に、メンタリティーの進化という現象が存在しておりましたならば、その進化の問題は、複雑であり、データ集積による帰納法的なアプローチのほうが、よほど有効である可能性すらあると言うことができるでしょう。

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(続く)