時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”報道の自由”はマスコミの自己欺瞞

 マスコミは、如何なる形であれ、政府が報道内容や報道機関の活動に口を挟もうものなら、”報道の自由”を盾に激しい拒否反応を示すものです。”報道の自由”は、いわば、”伝家の宝刀”なのですが、報道を取り巻く現状を見ますと、マスコミの主張する”報道の自由”は自己欺瞞に過ぎないのではないかと思うのです。

 何故ならば、実際のマスコミは、自由どころか、”がんじがらめ”の状態にあるからです。第一に、報道機関の大半は民間企業ですので、経営陣に加えて、株主の意向をも無視できません。公共放送であるNHKの場合、出資者は国民となりますが、”株主総会”のような機関が存在していないため、むしろ、この点においては、”自由”です。第二に、テレビ局は、スポンサーからの広告料が主要な収入源であり、このため、スポンサーの影響も受けています。この点、新聞各社は広告料よりも、購読料が収益の大半を占めますので、テレビ局と比較しますと、自紙の購買層の志向に配慮しています。一方、NHKの受信料の強制徴収は、ここでも、NHKに特別の”自由”を約束しています。第三に、報道機関も組織ですので、大勢の社員が働いています。社員の採用に偏りが無ければ、”報道の自由”はある程度確保できますが、実際には、縁故採用や特定集団の雇用枠、あるいは、組織的に報道機関に自らのメンバーを送り込む団体もあり、特定の思想に偏った社員の活動を通して”報道の自由”は、自由の濫用としての”報道統制”に転換される傾向にあります。実のところ、NHKに関しては、この側面こそが大問題であり、行き過ぎた自由は、放送権の私物化に帰着します。

 報道の自由とは、内外の如何なる圧力に屈せず、国民に対して判断に必要となる事実に即した正確な情報を提供するためにこそ意義があります。しかしながら、内部的な”介入”が日常茶飯事のマスコミにあっては、外部に対して”報道の自由”を叫んでも、自由の抑圧者、あるいは、自由の濫用者自身による欺瞞的な批判とならざるを得ないのです。真の報道の自由を実現するためには、マスコミの内部改革こそ急がれるのではないかと思うのです。

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