時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

日本のマスコミは暴力に屈してきたのでは?

 イスラム過激派のテロリストの凶弾によって、編集長をはじめ、多くの社員を一瞬のうちに失ったフランスのシェルリ・エブト社。残されたスタッフ達は、暴力に屈せず、なおも週刊誌の刊行を続けると報じられております。
 
 ところで、日本国のマスコミの暴力に対する態度はどうでしょうか。これまでの経緯を振り返りますと、暴力に屈してきた面が強かったのではないかと思うのです。朝鮮人民民主主義共和国を北朝鮮と呼ぶようになったのは、拉致事件が発覚した以降のことであり、それまでは、正式名称で呼ぶようマスメディア各社に対して執拗な脅迫があったそうです。また、NHKなどのテレビ局が在日韓国・朝鮮人を採用するようになったのも、民潭や総連の圧力があったとも指摘されております。通名報道朝鮮半島両国に対する批判が自粛されてきたのも、陰には暴力という脅しがあってのことなのでしょう。真に批判すべき事実には目を瞑り、自己保身のために捏造してまで自国ばかりを貶めているのでは、報道機関としての社会的な役割を放棄したに等しくなります。
 
 結局、マスコミが暴力に屈したため、日本国の国民は、知るべき情報を知ることができず、かつ、治安の悪化にも晒されることになりました。日本国のマスコミ各社には、あくまでも社会悪に対峙し、リスクを負っても事実を報道するジャーナリストとしての精神を取り戻していただきたいと思うのです。
 
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