時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

人類の多様性と分化の視点が欠けた移民論

 今日、移民政策は、全ての国にとりまして、頭の痛い悩みの種となっております。移動の自由は、個人の自由の一つのように見なされ、移民反対の主張は、”差別主義者”として批判に晒されがちです。しかしながら、この見解は、人類の分化と多様性の視点が欠けているのではないかと思うのです。

 最近の人類学の研究では、今日の人類には、ネアンデルタール人やデニソヴァ人などの遺伝子を継承している人々が存在していることが判明しています。また、住み着いた土地の気候や風土によって、人種や民族の違いが生じたことは紛れもない事実です。人類の多様性と分化の視点から見れば、特定の集団において、言語、生活習慣、行動規範などに違いがあるのは、むしろ、当然すぎることでもあります。否、こうした共通性が無ければ、社会と言うものは成立しないのです。ところが、移民の自由を個人レベルに還元してしまいますと、それは、あらゆる社会が崩壊して”烏合の衆化”することを意味します。人々の間に何らの共通項も存在しない状態では、最低限のコミュニケーションさえ成り立たないからです。つまり、そもそも、移動の自由を個々に全面的に認めることは、自然発生的なコミュニティの”死”を意味しており、根無し草となった人間を、リスクに満ちたカオスな世界に放り込むことになりかねないのです。

 このように考えますと、移民問題とは、個人の自由のみからアプローチすべき問題ではなく、人類史に根差した人間集団の多様性と分化の問題を加えて論じるべきです。経済的な理由や人口維持の観点から安易、かつ、大量に移民受け入れますと、その国が失うものの方が、遥かに大きいのではないかと思うのです。

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