時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「神様志向型人類」と「野獣型人類」の定義

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」につきまして、混乱と誤解なきよう定義をはっきりとさせていただきますと、以下のように大別することができるようです。
 
「神様志向型人類god (goddess)-minded human」の定義:人類社会における様々な人為的な事柄に対して、その善悪を、公正で、客観的視点から判断し、自己の利益の如何よりも、善か悪かによって対応する人々。生存権、所有権などの基本的人権を互いに認め合い、文明や文化を尊重し、国内においても、国際社会においても、協調した社会、世界を築いてゆくことを目指す人々。その論理的帰結として、自由主義・市場主義体制を肯定する人々。
 
「野獣型人類 beast human」の定義:人類社会における様々な人為的な事柄に対して、自己の利益の実現を基準に対処し、しばしば、暴力によって何事も解決しようとする人々。自己のために、他者の生存権、所有権などの基本的人権を侵害する人々。その論理的帰結として、一党独裁や武力侵攻を肯定する人々。
 
このように、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」の間では、メンタリティーに大きな違いがあります。国際秩序や国際社会におけるコモンセンスとしては、現状では「神様志向型人類god(goddess)-minded human」が主流なのですが、昨今、「野獣型人類 beast human」が、その国民の多数を占める国々や、為政者、すなわち、政府が「野獣型人類 beast human」によって占められてしまった国々が台頭し、暴力主義による国際紛争の解決を試みることが懸念されております。

さらに、国別と言うよりは、むしろ、国内におきまして、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が、陰に陽に、暗闘を繰り広げており、社会の安定性を損なう要因ともなっております。
 
そして、この問題の核心は、「野獣型人類 beast human」の性質が、教育によっては是正することが、どうやらできそうにないことにあります。教育や指導が無力であるがゆえに、問題の解決は容易ではないのです。にもかかわらず、「野獣型人類 beast human」は、その勢力を拡大しており、看過され得ない状況となってきていると言うことができるでしょう。
 
では、どうしたらよいのでしょうか。「神様志向型人類god(goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」という2種類の人類は生じてしまった理由を解明することで、この問題への人々の関心と理解を促し、対応策の策定問題の一助となればと考えまして、進化論をアプローチとした記事を書かせていただいております。

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(続く)