時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

生存権を軽視しているのはSEALDsでは?

 本日の日経新聞一面の「春秋」に、SEALDs批判で一躍その名が知られることになった武藤議員のツィートについて、いささか気になる記事が掲載されておりました。

 武藤議員が、どのような文脈でツィートしたのかは定かではなく、その表現も、確かに誤解を招きやすのですが、「春秋」の執筆者は、武藤議員が、基本人権や生存権に対する制限をも認めた内容のツィートを呟いたことが許せないようなのです。しかしながら、この「春秋」の批判は、戦争や生命の危機という極限状態を想定すれば、なかなか素直には頷けないところがあります。特に戦場では、敵味方の生存権は、ゼロ・サムとなるからです。相手の生存権を尊重すれば、自らが生存権を失い、自分の生存権を護ろうとすれば、相手の生存権を奪うしかありません。つまり、両者の生存権は両立せず、必ず、どちらかの生存権が失われます。また、軍人が自らの生存権を最優先して職務を放棄し、戦線離脱しますと、全国民の生存権は絶体絶命の危機に直面します。”制限”という表現が適切であるかは別としても、国民の命を守ることを使命とする軍人は、常に自らの命を賭してその職務を遂行しているのです。戦時にあっては、一般の国民もまた、他の国民のために自らの生存権を危険に晒すことも稀ではありません(負傷者の救出、救護、介護など…)。

 安保法案は徴兵制を導入するものではありませんので、SEALDsの主張は、戦場の自衛隊に対して、敵兵による殺害、あるいは、敵前逃亡を薦め、日本国民に対しては、無抵抗での殺戮の受容を求めているようなものです。国民を護る職務を一身に背負い、SEALDsの命をも守っている自衛隊に対してあまりにも恩知らずですし、国民の生存権を尊重しているとも、到底思えないのです。

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