時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

”侵略”明記-日本国民への謝罪を要するのでは?

 本日の一面は、どの新聞社も、戦後70年談話に関する「21世紀構想懇談会」の報告書が飾ったようです。それほど、国民の関心は高いのですが、満州事変以来を”侵略”と明記されたことは、日本国民にとりましても、他人ごとではありません。日本軍の一員として闘った自らのご先祖や親族達が、”侵略軍”の一員となるからです。

 おそらく、当報告書は、主として中国と韓国への配慮から作成されたものと推察されますが、日本国民に対しては、然したる配慮が払われた形跡はないようです。確かに、形式主義的な法の側面からしますと、”侵略”と見られないこともないのですが、未だにアジアやアフリカでは植民地が数多く存在し、中国大陸でも内乱が続く当時にあっては、法的には誤りでも、道義的、あるいは、安全のためには致し方ない軍事行動も皆無ではありませんでした。少なくとも、日本軍の一員として闘った国民は、他国の侵略や虐殺のために銃をとったのではなく、日本国が掲げた大義のために戦場に赴いたのです。”侵略”ともなればその大義は失われ、無辜の民間人を含め、戦争遂行に際して払われた国民の多大なる犠牲は、懲罰的な意味合いを帯びることになりましょう。

 大義を信じて戦った日本兵、そして、国民の純粋なる気持ちを斟酌すれば、今日、70年談話において先の大戦を”侵略”と認定するならば、日本国政府は、国民にこそ丁寧にその理由を説明するべきです。当報告書では、謝罪の必要はないと述べているそうですが、”侵略”明記によって、不本意にも”侵略者”に転落する日本国民に対しては、謝罪する必要があるのではないかと思うのです(本来、村山談話に際して謝罪すべきであったのでは…)。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。