時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

70年談話-”侵略”を書かない理由

 戦後70年談話をめぐっては、あくまでも中国や韓国は、”侵略”や”植民地支配”の文言に拘っているそうです。しかしながら、法、道徳・倫理、統治機能の間には、実のところ、しばしば不整合の問題が発生します。

 第二次世界大戦においても、中国や韓国などは、国際聯盟規約や不戦条約を根拠として、法的にも日本国の戦前の行動は、”侵略”と認定したいのでしょう。これらの条文を文字通りにとれは、確かに、日本軍の行動は、侵略と認定される余地があります。しかしながら、法と道徳・倫理と統治機能に整合性が保たれている場合、つまり、正しい法である場合には問題は生じませんが、この三つが不整合となる時には、悪法や統治機能の欠落問題が生じます。第二次世界大戦もまた、形式的な法律順守を求めれば、植民地とはいえ、他国の領域侵犯は違法となります。その一方で、道徳・倫理に従えば、植民地の解放は間違いではありません。日本国の戦前の行動を”侵略”として、完全に否定し切れない理由は、この不整合さにあるのです。法、道徳・倫理、統治機能の不整合問題は、日本国憲法第9条にも見られますし、武装解除命令に反しても、ソ連軍の侵攻から国民を護ろうとした関東軍の一部軍隊の行動にも見られます。

 良き法とは、これら三者の整合性が保たれる、あるいは、調和が成立する法であるとしますと、不整合な状態にあった時代の行動に対する”侵略”判断は絶対的ではありませんし、殊更に”侵略”と言い立てることにも慎重であるべきなのではないでしょうか。そして、今後の人類が目指すべきは、”良き法の下における法の支配”なのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。