「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:人類にメンタリティーの進化はあるのか
今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨今の異常気象に示されますように、今後、地球規模における自然環境の変化は、短期的、長期的にも予測されるものとなっております。仮に、進化論がいうように、進化は、生物が、環境に適応できる状態に変異した場合に起こるといたしましたならば、人類につきましても、いわゆる「次世代ホモ・サピエンス」は、こうした変化に適応して進化することのできた人類ということになるのでしょう。
では、どのような人類が、「次世代ホモ・サピエンス」となるのか、と想像してみますと、ゴキブリのように、単に、生命力が強いか弱いかでは、到底、自然環境の変化に対応できるわけはなく、自然環境の変化に対応、対処するだけの技術や知識を発展させることができるほど、知能において、すぐれた人類であるという点が、重要であることになります。
突然変異として、知能指数の極めて高い人類が生じ、その人数が増加した場合に、「次世代ホモ・サピエンス」が形成されてくる、ということになるのでしょう。現生人類と外見において大きな違いが無ければ、「次世代ホモ・サピエンス」は、「次世代ホモ・サピエンス」であるとは、周囲からは気付かれないかもしれません。
果たして、人類は、頭脳を発展させることができるのか、この点は未知数ですが、人類の生き残りのためには、知能指数の極めて高い人類が必要であることは、論をまたないと言えるでしょう。しかしながら、人類の生き残りにおいて、もうひとつ、現生人類の進化に必要とされている点があるのです。それは、人類のメンタリティーの問題であり、「嫉妬心の低い人類」が必要とされている、ということです。
いかに知能指数が高くとも、周囲からの嫉妬を受けて、「つぶされてしまう」ということは、よくあることです。こうして、「次世代ホモ・サピエンス」が、社会的にも、その能力を発揮できないことになってしまいますと、自然環境の変化など、人類のかかえる問題に、結局は、対処できなくなってしまうのです。
この問題は、重要であり、「次世代ホモ・サピエンス」が足を引っ張られないためには、人類の多くが、「嫉妬心の低い人類」に進化せねばならないのです。昨今では、嫉妬心によって、人をつぶすことを、奨励するようなカルト宗教もありますので、「嫉妬心の高い人類」が、「嫉妬心の低い人類」に進化しなければ、人類の生き残りは、難しいということになってまいります。
人類の生き残り、進化をめぐりましては、知能の問題に焦点があてられる場合が多いのですが、案外、メンタリティーの問題も重要なのではないでしょうか。
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(続く)