時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

北野武氏の道徳論は悪魔の囁き?

 最近、新聞の広告欄に、相当のスペースを割いて北野武氏の著書である『新しい道徳』が宣伝されるようになりました。道徳とは、「自分がどう生きるか」という原則であると…。

 著書の内容の概要は、箇条書きで詳しく紙面に掲載されておりますので、販売宣伝と言うよりも、”新しい道徳”の思想宣伝とも推測されます。紙面上で誰でも読めますので、本を購入せずとも、その道徳思想だけは頭に入ってきます。本記事も、紙面を読んでの批判なのですが、『新しい道徳』には、疑問を抱かざるを得ないのです。細かなところで事実誤認もあるのですが、そもそも、道徳は個人レベルに還元できるのか、という問題があります。北野氏は、道徳を主観の問題へと転換させることで、”新しい道徳”と銘打っています。しかしながら、道徳とは、社会における行動規範として生成されてきたものであり、人々が道徳を共有してこそ社会は安定を得ることができます。北野氏が述べるように、”誰かに押し付けられた”のではなく、皆が道徳律を誠実に護ることで、争いや対立、そして故なき犠牲を上手に避けてきたのです。いわば、道徳には、個々から超越した”神の視点”とも云うべき、人類の経験知としての善が込められており、それは、歴史を通して受け継がれてきたものでもあります。

 道徳と呼ばれるものにも、時にして、非合理で不条理なものもないわけではありませんが、少なくとも、道徳を個人レベルの問題に引き下げますと、社会の共通規範が失われ、後には、混乱と利己的な不道徳が残されるかもしれません。その行く先を考えますと、”新しい道徳”は、悪魔の囁きかもしれないと思うのです。

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