時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「進化論」から見えてくる人類共通の脅威:「進化論」から見えてくるシリア難民の脅威

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。今日は、フランスのパリで発生いたしましたテロ事件につきまして、その重要性に鑑み、「進化論」の視点から意見を述べさせていただきます。


この地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存しており、「神様志向型人類god(goddess)-minded human」は、善悪の判断をすることのできる人類であり、「野獣型人類 beast human」は、善悪の判断ができない人類であると定義することができます。進化の過程におきまして、このような枝分かれが生じていると考えられますので、教育や指導などによって、「野獣型人類 beast human」が「神様志向型人類god(goddess)-minded human」に成長することは、困難であるという深刻な問題を、人類は抱えている、と言うことができるでしょう。


そして、善悪の判断から見てみますと、「無実の人々をテロ行為などによって殺害すること」は、明らかに、悪であることになります。したがいまして、ISのテロリストたちは、「野獣型人類 beast human」であるということになります。


もちろん、シリア難民のすべてが、ISのシンパであって、「野獣型人類 beast human」ではないのでしょうけれども、「野獣型人類 beast human」のいわば‘ビーストぶり’が、まかり通ってしまっていること、すなわち、イスラム世界におきまして、なかなか内部批判が大きくならない原因は、イスラム教は、‘この地球上に理想の世界を構築する’という意思に欠けた宗教であることにあるのではないか、と推測することができます。


キリスト教は、その信徒が、‘この地球上に理想の世界を構築する’という意思を持つ宗教です。このことから、キリスト教世界が中心、指導的立場となって、国家レベルでも、国際レベルでも、基本的人権の相互尊重、政治的自由、思想の自由などを保障するための、さまざまな国内法、国際法、条約などの法律や制度・組織が構築、整備されてきた、と言うことができます。


ところが、イスラム教は、この世の問題には無頓着であり、すべては、死後における‘天国’で、実現される、と信じている人々なのです。このようなメンタリティーの持ち主ですので、イスラム教徒は、一般市民の自由で、平穏無事な日常を破壊することや、自爆テロを平気で行う傾向にあるようなのです。しかも、「野獣型人類 beast human」が少なくなく、まずもって、「無実の人々をテロ行為などによって殺害すること」をめぐる善悪の判断が欠けているのですから、自己抑制が効かないようなのです。


確かに、シリア難民は気の毒な人々なのですが、今回のテロが、「13日の金曜日」に起こったことが示唆いたしますように、キリスト教世界にイスラム教のメンタリティーを持つ人々が、増加することは、極めて、危険であると、言わざるを得ないのです。


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