時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『China 2049』と『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国の『兵法三十六計』の脅威(パート4)

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。今回も、昨今、反響を呼んでおります『China 2049』に関連して、『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国問題を扱います。
 
前回の12月4日付本ブログにて、中国人が、信じている「天無二日 土無二王」という言葉は、「諸国間の調和を謳う国際協調主義に反する考えであり、今日におきましては、通用しない、むしろ、非難されるべき考えであることは、当然のことです」と述べました。今日は、その理由について述べてまいります。
 
「天無二日 土無二王」は、「世界秩序は、本質的にヒエラルキーを成す。そして、その頂点には、常に唯一の統治者が存在するのだ」という考えであり、こうした言葉があること自体、その唯一の統治者となろうとすることは、‘悪い事ではない’、‘当然のことである’と捉えるメンタリティーを持つ人々が、この地球上に存在していることを意味しております。
 
では、なぜ、このようなメンタリティーの人々は、非難されるべき人々であるのか、と申しますと、ABという二人がおり、仮に、Aが、「天無二日 土無二王」という言葉を信じるメンタリティーの持ち主であり、Bをライバル視いたしますと、Bは、何ら落ち度や咎が無いにもかかわらず、Aによる攻撃を受けてしまうことになるからです。
 
進化論との関連で、地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」の併存しており、このような2種類の人類を分ける基準は、善悪を判断する能力の有無にある点につきましては、本ブログにて、再三にわたって指摘させていただいております。では、「天無二日 土無二王」という言葉を信じて、何ら落ち度や咎の無いBを攻撃するAを、読者の皆様は、‘悪人である’と認識されるでしょうか、それとも、‘悪人ではない’、と認識されるでしょうか。
 
今日の一般常識、そして、国際的社会通念からは、‘悪人である’と認識されることになります。ところが、現在でも、中国共産党のように、「天無二日 土無二王」という言葉を信じるメンタリティーの持ち主である人々があり、このような人々は、Aを‘悪人ではない’と認識しているはずであって、ABに対して行ったような行為を、何ら良心の呵責無くして行ってしまうのです。
 
こうした問題は、マイケル・ピルズベリー氏も分析しておられますように、国際情勢を分析するのに役に立つかもしれません。例えば、所謂「南京20万人虐殺」や「慰安婦20万人の強制連行」など、中国、韓国、北朝鮮反日プロパガンダをめぐりまして、多くの日本人は、‘なぜ、戦後70年も経ってから、資料の偽造や虚言を用いることまでして、中国、韓国、北朝鮮は、日本を攻撃しているのか’、と、その理由を考えあぐねてしまっておりますが、『吉備大臣入唐絵巻』の吉備大臣が、中国によってライバル視されたことで、幽閉されてしまいましたように、案外、日本がライバル視されているからである、というのが、その理由であるのかもしれないのです。

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(続く)