時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

韓国併合が”植民地支配”ではない理由

 1910年の韓国併合は、両国間の条約の締結に基づくものであり、武力によるものではありません。この点を以って、”植民地支配”ではない、と主張されるのですが、もう一つ、日本国側の動機から植民地支配ではない理由を挙げてみたいと思います。

 19世紀におけるロシア帝国の東方への領土拡大は凄まじく、ペリーの来航が注目される中、幕末の日本国の北方では、ロシアの脅威が迫っておりました。日露戦争で一旦は東方進出を阻んだものの、対ロシア防衛は、明治日本の死活的課題であり続けたのです。日本国から見ますと、地政学上、ロシアにより近い朝鮮半島はいわば防衛の前線に位置し、朝鮮半島情勢が、重大な関心事でないわけはありません。一方、日本国以上にロシアの脅威を受けながら、朝鮮において親露派が少なくなたっかのは、”宗主国が清国からロシア帝国に代わるに過ぎない”といった感覚があったからなのでしょう。こうした当時の不安定、かつ、緊迫した情勢を考慮しますと、朝鮮が弱小国であることは、対馬の目と鼻の先までロシア帝国が迫ることを意味します。第二次世界大戦後、冷戦の発生により、アメリカは、旧枢軸国に対する政策を弱体化から強化へと180度転換させますが、当時の日本国にとりましても、防衛の前線を担う朝鮮半島は、強化すべき対象であったのです。このため、朝鮮半島には、広大なプランテーションが建設されることもなければ、近代化政策の一環として李朝時代の奴婢身分が廃止されこそすれ、朝鮮の人々が奴隷的な搾取を受けることもなかったのです。

 併合後は、戦時期の特別課税を除いて、朝鮮半島防衛を含む軍事費は全て日本国が引き受けており、この体制下で、35年の間朝鮮半島の安全は維持されました。併合は合法的とはいえ、今日の民族自決の原則からしますと批判はあるのでしょうが、韓国は、”悲惨な植民地支配”とは全くかけ離れていた実情を、史実として認めるべきではないかと思うのです。

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