時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

国債報償運動は日本国の功績を明らかにする

 韓国は、次回のユネスコの記憶遺産登録に際し、1907年に朝鮮半島で起きた国債報償運動を申請すると報じられております。韓国側としては、日本国による”経済植民地化”を訴えたいのでしょうが、この資料は、日本国の功績面をも明らかにするのではないかと思うのです。

 イザベラ・バードの『朝鮮紀行』には、下関条約による清国からの独立後の1896年にソウルを訪れた際に、そこでは、イギリス人税関長マクレヴィ・ブラウン氏の指導の下で、おそろしく不潔であったソウル市内の改善事業が行われていたことが記されています。独立を機に、ようやく、朝鮮半島は近代化への一方を踏み出したのですが、公衆衛生の向上や都市計画をはじめ、朝鮮半島のインフラ整備には多額の費用を要したことは想像に難くありません。近代化の資金の大半は、日本からの借款であり、1905年には、韓国は、はじめて日本国の東京において国債を起債しているます。そして、この国債発行額が多額に上ったため、1907年にその返済を国民に呼びかけたのが国債報償運動なのです。この事実は、第一に、日本国が、信用力に乏しいにも拘わらず、韓国に対して投資を行ったことを示しています。今日でも、途上国の多くは、外国からの投資を呼び込むのに苦労しています。第二に、インフラ目的の資金調達であったことから、日本国が、韓国の近代化を財政面から積極的に後押ししていたことが伺えます。第三に、日本国が、起債地を引き受けたことは、今日、中国がロンドンでの起債を計画しているように、必ずしも”植民地化”を意味してはおらず、資金調達の支援策でもあります。そして、この多額の債務は、1910年の併合と同時に返済義務がなくなると共に、以後、日本国政府は、併合期間を通し、朝鮮総督府に対して財政移転を続けるのです。

 当時、ロシアの南下政策に直面していた日本国は、安全保障上の懸念からも、韓国が近代化された国家となることを望んでもおりました。国債報償運動は、実のところ、当時の日韓関係の実像が、韓国側が主張するような”過酷な植民地化”とは異なるものであったことを示すことになるのではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。