時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

『China 2049』と『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国の『兵法三十六計』の脅威(パート10)

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、昨今、反響を呼んでおります『China 2049』に関連して、『吉備大臣入唐絵巻』から見えてくる中国問題の記事を書かせていただきます。
 
昨日の本ブログ(12月22日付)にて、中国における文化大革命のように文明が破壊されてしまうという現象が起こる理由には、「文明を嫌う人々」の問題が介在しており、‘科学技術の発展’、ならびに、‘洗練された芸術や美意識などに根差した文化の保持や拡大’という2つ解釈のいずれにもとづく‘文明civilization’であっても、その価値に対する無理解の「文明を嫌う人々」が、人類が悠久の歴史を通して、築き、育んできた文明を平気で、破壊しようとしている問題を指摘させていただきました。
 
昨日、まずは、「文明civilization」という用語を、‘科学技術の発展’と捉えている「文明を嫌う人々」について扱い、エコロジー運動の一部には、原始生活へと人々を誘導しようと計画している「文明を嫌う人々」の謀略が潜んでいる可能性もあると述べましたところ、読者の方から、この問題とジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」運動の問題との関連を指摘するコメントをいただきました。そこで、本日は、エコロジー運動の問題について扱います。
 
確かにエコロジー運動をめぐりましては、所謂‘知識人’による運動というイメージがつくられており、その思想的背景として、ルソーの「自然に帰れ」運動があるように思われます。ルソーが、人間の基本的権利と自由の確立を論理付ける自然法の提唱者でもあったことから、ルソーの思想のすべては、人類を‘理想の世界’へと導く思想である、と解釈される傾向にあるからなのかもしれません(もっとも、ルソーは、所有権を否定しおり、権利保障を基本とする文明から離れている・・・)。
 
おそらく、ルソーは、人類はすべて、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」であると捉えて、「自然に帰れ」運動を唱えたかもしれません。人類には、もとから、知性と理性が備わっているから、ほっておいても大丈夫、ということなのでしょう。しかしながら、進化論との関連で、再三にわたって本ブログにて指摘させていただいておりますように、地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存しております。したがいまして、「野獣型人類 beast human」が、この「自然に帰れ」運動を悪用いたしますと、人類野蛮化計画をつくられてしまうかもしれないのです。否、「野獣型人類 beast human」は、すでに、人類野蛮化計画を実行に移しているかもしれません。
 
エコロジー運動は、確かに、地球環境問題を踏まえますと重要なのですが、例えば、再生可能エネルギーのみに依存した場合、質の悪い電力の供給、電力供給の不安定化、電力料金の高騰といった問題が生じる恐れもあり、行き過ぎたエコロジー運動は、経済活力を削ぐにとどまらず、社会インフラの麻痺や経済システムの崩壊などを引き起こし、結果的には、‘科学技術の発展’としての文明全体にも、存続の危機が訪れる可能性があるのです。あたかも、‘愚者の船’のように…
 
 現在、様々なエコロジー運動がありますが、このように考えますと、エコロジー運動につきましては、個々別々その運動の目的がどこにあるのか、そして、現実問題として、その運動によって、世界はどうなるのか、をきちんと分析した上で、評価し、賛否を表明してゆかねばならない、ということになるでしょう。

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(続く)