時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

2016年は「最後の審判」の年であるのか

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。今日も、「2016年」について扱ってまいります。
 
人類史におきまして、重要な年数や年代は、「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0という法則にもとづいて、「0」、「1」、「2」、「6」を組み合わせた数字であり、万有引力の法則などを発見した物理学者・数学者として知られるアイザック・ニュートンIsaac Newton(1642~1727年)も、『聖書』黙示録の「最後の審判の日theJudgement Day」の年代を、西暦2061年と計算していることを、指摘させていただきました。
 
そこで、2016年は、どのように重要な年代であるのか、という点をめぐりましては、まずもって、「最後の審判の日the Judgement Day」の年代は、2016年なのではないのか、ということになるでしょう。
 
『聖書』黙示録では、ある特定の年代から、1,260年を数えた年代が、「最後の審判の日the Judgement Day」の年代であるとされております。そこで、ニュートンは、神聖ローマ帝国の成立と深くかかわる西暦800年におけるシャルルマーニュCharlemagne, Charles the Great, Karl der Grosseのローマにおける皇帝位への戴冠から、1,260年を数えた西暦2061年を、「最後の審判の日the Judgement Day」と計算したのです(西暦800年+1,260年=西暦2060/2061)。しかしながら、このようなニュートンの推理は、間違えであって、ある特定の年代とは、西暦756年であって、この年代から1,260年を数えた西暦2016年が、「最後の審判の日the Judgement Day」の年代であるのかもしれないのです(西暦756年+1,260年=2016年)。
 
では、西暦756年に、いったい何が起こっていたのでしょうか。この年代に、重要な歴史的事象が、発生していたといたしますと、「最後の審判の日西暦2016年説」も、あながち、成り立たないわけではありません。
 
西暦756年は、カトリック教会にとりまして重要な年代です。この年にフランク王国カロリング朝)のピピンPepin the Short(治世:751~68年)がローマ法王に、ラヴェンナ太守領を寄進したことによって、はじめて「教皇領」が成立したのです。「ピピンの寄進the Donation of Pepin」と称されておりますが、ローマ教皇は、宗教における権力と世俗における権力の両権力を掌握したことになり、カトリック教会は、政教一致体制unity of religion and stateを是とするようになったのです。今日でも、ローマ法王が、「ヴァチカン市国」という一国家の国王でもあるという状況は、西暦756年におけるこの教皇領の成立に由来している、と言うことができるでしょう。
 
では、仮に、「最後の審判の日西暦2016年説」があり得るといたしますと、この点と、「最後の審判の日the Judgement Day」との間には、いったいどのような関係があると考えることができるのでしょうか。この点につきましては、次回において扱ってまいりましょう。
 
(続く)
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