時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

2016年は政教分離と政教一致問題に揺れる年となるのか

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「2016年」が幕を開けたばかりですので、今日も、「2016年」について扱ってまいります。
 
1月19日付け本ブログにて、フランク王国カロリング朝)のピピンPepin the Short(治世:751~68年)がローマ法王ラヴェンナ太守領を寄進し、ローマ・カトリックが、宗教における権力と世俗における権力の両権力を掌握し、政教一致体制を採るようになった西暦756年から1,260年を数えた西暦2016年が、「最後の審判の日the Judgement Day」の年代である可能性を指摘させていただきました(西暦756年+1,260年=西暦2016年)。
 
仮に、「最後の審判の日2016年説」が正しければ、この「ピピンの寄進the Donation of Pepin」の歴史的意味から、政教一致政教分離の問題が、人類史におきまして特に重要な年数や年代を示す法則である「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0という法則や『聖書』黙示録の「最後の審判の日」の問題と関連がある、ということになってまいります。このような推測は、以下の点によっても補われます。
 
万有引力の法則などを発見した物理学者・数学者として知られるアイザック・ニュートンIsaac Newton(1642~1727年)が、この「最後の審判の日the JudgementDay」の年代を、西暦800年から、「0」、「1」、「2」、「6」からなる1,260年を数えた西暦2061年と計算していることは、先述させていただきました。この西暦800年という年代も、政教分離政教一致の問題と関連があるのです。
 
そもそも、『聖書』黙示録では、「ある特定の年代」から、1,260年を数えた年代に、「最後の審判」が起こるとされておりますが、ニュートンが、その「ある特定の年代」を西暦800年であると捉えた理由は、ニュートンが、この年のシャルルマーニュの戴冠を、政教分離のはじまりであると認識していたことにあります。すなわち、ローマ教会の権威と世俗の統治権とが分離したことを意味するシャルルマーニュの戴冠の年代から、1,260年を経た年代が、「最後の審判の日the Judgement Day」の年代であると捉えていたのです。
 
この点から、「ニュートンの予言Prophecy of Newton」として知られる「最後の審判の日2061年説」は、政教分離から1,260年を経た年代を最後の審判の日とみなしていることとなり、「最後の審判の日2016年説」は、政教一致から1,260年を経た年代を最後の審判の日であるとみなしていることになり、どちらの説も、政教分離政教一致の問題とかかわっていることになるのです。
 
偶然であるのか、必然であるのかはわかりませんが、歴史的に見て、西暦756年と西暦800年は、政教一致政教分離の問題にかかわる重要な事件が起こっていた年代であったのです。このことから、人類の命運にとりまして、政教一致政教分離の問題は、極めて大きな問題である、と言うことができるかもしれません。西暦2016年に、「最後の審判」が起こるか否かにつきましても、‘神のみぞ知る’であってわかりませんが、今年は、政教分離政教一致の問題に揺れる年となるのかもしれないのです。
 
そこで、次回は、『聖書』黙示録における「ある特定の年代」の意味について、より深く考えてみることにしましょう。
 
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(続く)