時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

ニュートンはなぜ『聖書』の研究を行ったのか

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。今日も、「2016年問題」について扱ってまいります。
 
数学者・物理学者であるニュートンは、シャルルマーニュの戴冠があり、キリスト教世界におきまして政教分離が成立した西暦800年を、「巨大な赤いドラゴンthe great red dragon」が猛威を振るい始めた年代、すなわち、教会が堕落しはじめた年代と捉え、西暦800年から1,260年を数えて、西暦2061年を、『聖書』「最後の審判」の年代として計算したわけですが、ニュートンが、なぜ、政教分離を宗教の堕落、人類の堕落として捉えたのか、逆説的には、なぜ、人類にとっては政教一致が望ましいと捉えたのか、その理由は、わかっておりません。
 
政教分離政教一致のいずれにおきましても、その理解の仕方と具現化の法方の如何によりましては、問題が生じますので、政教分離に否定的なニュートンの「最後の審判西暦800年説」は、ニュートンという人の思想や背景にまで、遡って考えねばならない問題であるようです。
 
そもそもニュートンは、謎の人物とも言える人であり、なぜ、理系の分野の学者であるニュートンが、『聖書』の研究を行うようになったのか、その点につきましても謎であり、諸説があります。
 
個人的理由としましては、ニュートンは、神の存在を肯定する理神論者であったからであるとする理由が、もっとも、有力かもしれません。さまざまな法則を発見して数式化し、すべてを科学的、物理的に論証しようとしてきたニュートンでしたが、宇宙は、神によってつくられたと、深く信じておりました。すなわち、ニュートンは、すべてを科学的に追求すればするほどに、むしろ、神の存在を信じるようになったようであり、この先、宇宙や地球、そして、人類は、神によって、どのようになると予定されているのか、この点を知りたいと考え、『聖書』の研究に没頭するようになったのではないか、と考えることができるのです。その結果、政治制度も、神の意思にもとづくものでなければならない、と考え、政教分離を人類の堕落と捉えたのかもしれません。
 
ちなみに、今日は、2月16日です。政教一致に否定的な「最後の審判西暦2016年説」でしたならば、「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0」にもとづき、最後の審判の日となる可能性の高い日付の一つとなります(法則に適う日付は、その他に、1月26日、6月12日、6月21日、10月26日、12月6日があります)。果たして、最後の審判の日は、今日なのでしょうか。
 
次回は、なぜ、ニュートンは『聖書』の研究を行うようになり、政教分離に否定的な見解をもつようになったのか、時代背景にもとづく理由について扱ってまいります。

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(続く)