時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「最後の審判の日」の年代をめぐって「西暦2016説」を補う「パナマ文書」

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、久しぶりに記事を書かせていただきます。引き続き、「2016年問題」について扱ってまいります。
 
『聖書』黙示録において、神様によって悪人たちに審判が下される日であるとされる「最後の審判の日the Judgement Day」の年代は、一体、いつであるのか、この点をめぐりまして、「1と2と6は一回のみ、0は何度使ってもよい法則The Rule of One Time 1, 2 & 6and Any Time 0」との関連で、「西暦2016年説」、ならびに、ニュートンの予言によっても知られる「西暦2061年説」があることにつきましては、先述いたしました。
 
今年は、まさに、西暦2016年であり、「最後の審判の日」の年代であるかもしれない年代なのですが、「西暦2016年説」と関連いたしまして、ここ数週間、世界中の耳目を集めている重大事件、「パナマ文書」は注目されてまいります。
 
その理由は、「パナマ文書」こそ、revelationであるからです。『聖書』を構成する諸書の最後に位置付けられているのが「黙示録」という書なのですが、「黙示録」というタイトルは、「The Revelationの邦訳です。revelationとは、本来、「(隠されていた事実の)暴露、摘発、発覚、意外な新たな新事実」という意味ですので、「黙って示す、暗黙のうちに示す」という意味にとれてしまう「黙示録」という邦訳は不適切である、と言うことができます。「黙示録」という邦訳は、間違えであって、「The Revelation」という書の持つ意義を正確に伝えていないのです。
 
すなわち、神様によって悪人たちに下される審判は、「黙って示される、暗黙のうちに示される」ことになるのではなく、その逆に、黙っているどころか、「暴露、摘発、発覚、意外な新たな新事実によって示される」ことになる、というのが、「The Revelation」の言わんとするところなのです。
 
このように考えますと、西暦2016年における「パナマ文書」のrevelationは、西暦2016年が、果たして、「最後の審判の日theJudgement Day」の年代となるのか否か、を占う重要な事件であるのかもしれないのです。
 
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(続く)