時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

「パナマ文書」はなぜ「暴露録」であるのか:国家不要論の脅威

 今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。引き続き、「2016年問題」について扱ってまいります。4月22日・4月26日付の本ブログにて、『聖書』黙示録The Revelationのキーワードが、「パナマ文書Panama Papers」の特徴と符号してくる可能性がある点として、「④暴露される巨悪revelation」について扱いましたが、‘revelation(暴露)’の問題は重要ですので、本日も、この点について扱ってまいります。
 
パナマ文書」の全容は、来る5月10日に公表されるとのことで、日も迫ってまいりましたが、「パナマ文書」の重要性は、隠されていた犯罪が明らかとなる可能性のみならず、‘タックスヘイブン問題は、国家と国民との間に亀裂を生じさせている’という、今日的な問題をめぐりましても、認識されてまいります。
 
国家は、国家という存在があることに対しまして、国民が「受益と負担とがバランスしている」、と感じる国民感情によっても成り立っている、と言うこともできます。受益とは、道路などの社会インフラ、すなわち、公共施設を利用できることや、国防や治安維持など、安全保障を享受できることであり、負担とは、公共サービスにかかる費用負担、すなわち、課税であり、兵役という負担のある国々もあります。
 
ところが、昨今、この国家と国民との間のいわばギブアンドテークの関係は、合法的に国家に税金を支払わず、受益のみを追求している企業や個人が増加していることによって、危機に晒されている、と言うことができるかもしれません。こうした企業や個人の特徴として、「既存の国家は無くてもよい」と考える傾向もあるようです。
 
しかしながら、本当に、「既存の国家は無くてもよい」のでしょうか。米国では、ロビー活動として、国家不要論が喧伝されているようですが、国家が消滅しましたら、一体、誰が、社会インフラや治安を維持するのでしょうか。地球上の人類は、すべて善良なる市民であるわけではありません。本ブログにて、再三にわたって、述べてまいりましたように、この地球上には、「神様志向型人類god (goddess)-minded human」と「野獣型人類 beast human」が併存しております。「神様志向型人類god(goddess)-minded human」は、善悪の判断をすることのできる人類であり、「野獣型人類 beast human」は、善悪の判断ができない人類であると定義することができます。進化の過程におきまして、このような枝分かれが生じていると考えられますので、人類の中には、「野獣型人類 beast human」も存在しているというのが、現実なのです。
 
したがいまして、仮に、既存の国家が消滅してしまいましたならば、地球は、「野獣型人類 beast human」の独壇場となってしまうことでしょう。国家不要論は、一見、理想主義、平和主義のように聞こえながら、その実、結果責任におきましては、犯罪行為と同等、もしくは、それ以上に怖い思想であり、人類を『聖書』「暴露録(黙示録)」に記述されるような最悪の状態へと導きかねない思想であるのです。
 
果たして、5月10日に発表される「パナマ文書」は、こうした国家不要論者、あるいは、国家のフリーライダーの存在を、‘revelation(暴露)’することになるのでしょうか。

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(続く)