時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

常設仲裁裁判所によって蘇ったニコライⅡ世の亡霊

今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。「最後の審判の日」について扱う『聖書』「暴露録(黙示録)」に登場するサタンの化身、「赤い竜the red dragon」は、「赤」が「共産党」、「竜」が「中国」を意味することから、中華人民共和国である可能性が高いのですが、今般の中華人民共和国の暴力主義による領土・領海拡張問題に対して、「九段線」には根拠が無い、すなわち、中華人民共和国側が‘悪’であるという判決を下したのが、他ならぬ、常設仲裁裁判所the Permanent Court of Arbitrationであることからも、その可能性が見えてまいります。
 
常設仲裁裁判所は、1899年と1907年に、「国際紛争平和的処理条約Conventionfor the Pacific Settlement of International Disputes」にもとづいて設立された裁判所です。この条約において謳われておりますように、「文明世界の国々は、国際紛争を暴力主義ではなく、国際法に則って平和的に処理してゆくべきである」と唱えて、この条約を成立させることとなったハーグ平和会議の開催を提唱したのは、ロシア皇帝・ニコライⅡ世です。
 
ロシア皇帝’といいますと、専制・独裁的な人物像が想像され、ニコライⅡ世に対する評価も、区々ですが、ニコライⅡ世は、敬虔なキリスト教者であり、健全な社会を求める反退廃文化主義者、そして、反共産主義者でもありました。ニコライⅡ世は、人類が、より文明化された共存、共栄の世界を築くためには、暴力主義を排してゆかねばならない、という信念から、ハーグ平和会議を提唱したようです。殺傷能力の高い近代兵器、生物・化学兵器の急速な開発と暴力主義とが結びつくことによる人類滅亡を、ニコライⅡ世は、本当に、心配していたかもしれないのです。
 
しかしながら、1917年にロシアおいて共産・暴力革命が起こり、共産党政権によって、逮捕・抑留・幽閉の末、ニコライⅡ世は銃殺されてしまうのです(ニコライⅡ世の抑留・幽閉時代の日記から、逆境にあっても、ニコライⅡ世が、人間としての尊厳と、人間としての優しさを最後まで失わなかったことがわかり、ニコライⅡ世のその姿勢には、感銘をおぼえます)。
 
ニコライⅡ世の非業な死去があってから、ロシアでは、共産革命政府による圧政は厳しさを増し、数千万という多くの人々が政治犯としてシベリアへ送られ、また、第一次世界大戦第二次世界大戦が勃発し、ニコライⅡ世の紛争を平和的に解決しようとする試み、努力は、潰えることになりました。しかしながら、ニコライⅡ世は、人類に、大きな遺産を残していたことになります。それが、常設仲裁裁判所なのです。
 
1945年に国際司法裁判所を含む国連の諸機関が成立してまいりますが、常設仲裁裁判所は、統廃合されることはなく、存続し、国際紛争をめぐって仲裁が必要とされる都度、あたかも、蘇るかのように、開廷されました(開廷されていない、すなわち、閉廷状態にある場合、常設仲裁裁判所は、閑散としているはずですので、あたかも‘幽霊屋敷’のようであるかもしれません)。この常設仲裁裁判所が存在していなければ、フィリピンは、南シナ海問題をめぐって、中華人民共和国に対しまして、司法に訴えることができなかったかもしれません。中華人民共和国の横暴な圧力によって、中華人民共和国の暴力主義による領海・領土の拡大は、まかり通ってしまったかもしれないのです。
 
常設仲裁裁判所の審判に対しまして、現在、中国共産党政権は、従わない意向を示しており、また、東南アジアのアセアン諸国の中にも、中華人民共和国側に靡く国々もあるなど、予断を許さない状況にはあります。しかしながら、常設仲裁裁判所の判決が、共産党政権を‘悪’と認定し、文明世界を築くためには国際法の遵守と暴力主義の排除が必要、かつ、重要であることを、世界の人々に、再度、思い起こさせた点におきまして、ニコライⅡ世の亡霊は蘇った、と言えるのではないでしょうか。
 
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(続く)