時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

天皇の役割とは何かを問う三笠宮殿下の「意見書」

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。11月4日に日本経済新聞に掲載されました三笠宮殿下の「意見書」をめぐりましては、以下の点も国民に向けた問題提起として指摘することができます。
 
本「意見書」では、天皇は国事行為を行うことから、即位する人物には、特に能力と健康が必要とされている点が指摘されております。この点は、裏返せば、現憲法制定以前の歴代天皇は、すなわち、「来しかたの伝統的天皇の在り方」には、能力も健康も必要ではなかった、ということになります。歴史的、伝統的に、天皇には、幼児が在位する場合が多かったことは事実ですし、天皇は、祇園まつりの山鉾の上で座している御稚児さんのように、‘神のよりしろ’として、国家祭祀である神道における神祇祭祀をつかさどる立場にあったのですから、能力や体力はさほど必要とされてこなかったことは、確かである、と言えるかもしれません。明治以降も、表向きは、天皇が統治しているように見えながらも、特に初期にあっては、政治は元老達によって執り行われていたことでしょう。すなわち、たとえ能力と健康に欠けていても、‘存在しているだけで、皇祖神の神威が国内外にゆきわたり、日本国に安全と繁栄がもたらされる’、という国民の暗黙の理解によって、天皇は守られ、大事にされてきた、と言うことができます。
 
しかしながら、現憲法におきましては、天皇は、神道から切り離され、国事行為を行う立場にあると定められるようになりました。天皇の役割は、大きく変化することになったのです。では、国事行為とは、どのような行為であるのか、と言いますと、「国会の開催の際のご臨席」、「国璽の押印」、「叙勲」、「外国からの来賓の接受や外交官へのアグレマン」などが挙げられます。あらゆる国事行為における式次第の習得、‘お言葉’の暗記、立ち振る舞い、賓客に対して失礼にならない言動やマナー、機知に富んだ会話の能力などなど、ここに、能力と健康(体力)が必要である理由があるのです。
 
こうした天皇に必要とされる能力と健康は、世襲制では、確保することのできない条件です。能力と健康が、天皇にとっての必須条件であるのならば、すべての日本人を対象とした能力試験をもって、日本人のなかから、IQが最も高く、しかも健康である人物を天皇として、即位させたほうがよい、ということになります。三笠宮殿下は、当該「意見書」にて、このような能力と健康を備えた人物がいないのであるのならば、「日の丸」を象徴としたほうがましであるとも、述べておられます。
 
このように考えますと、現憲法における天皇をめぐる規定は、天皇の役割をめぐりまして、大きな問題を提起している、と言うことができるのです。

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(続く)