時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

天皇や国王とは何であるのか

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。昨今、天皇をめぐる議論は、2年後に迫る譲位問題から活発化しており、日本国民は、‘天皇’という存在を国家に対してどのように位置づけたらよいのか、その役割をはっきりさせておかなければならない困難な状況に直面している、と言うことができます。昨日、「日本国憲法」と「皇室典範」が両立しないことを指摘させていただきましたが、この両立しないという点をきちんと解決しておかなかったことから、今日、譲位問題が発生しましたように、タブーに近かった問題を議論することを避けますと、将来において、さらに大きな混乱や問題をもたらす原因となるからです。
 
そこで、よりよい議論を通して、よりよい解決策を見つけるための参考、一助となりますよう、歴史家として、天皇や国王などの存在を、どのように捉えたらよいのか、といった点を整理しておきたいと思います。
 
歴史的になぜ国王が、存在するようになったのか、という点は、諸民族、諸国家におきまして区々であり、すべての国々に当てはまるような理由は無いのですが、大きく分けますと、執政王と祭祀王とに分類することができます。
 
執政王とは、政治的権限を有する者のことであり、その正当性をめぐりましては、神聖性や神との関わりは、あまり、考慮されることはありません。ヘロドトスの『歴史』によりますと、エジプトでは、はじめての国王は、7人の候補者のなかから、馬を一番早くに嘶かせた人物とする、という単純なゲームのような方法で、即位したとされております。『聖書』では、サミュエルという預言者が、人々が、「我々も、国王が欲しい」という要請を受けて、「国王がいても、あまり良いことはありませんよ」と言いながらも、結局、サウルという人物を国王に就けることにします。しかしながら、サウルが、悪政を敷いたため、サミュエルは、サウルに替えて、デビットを即位させております。
 
国民の側からしますと、善政を敷いてくれさえすればよい、ということになるのですから、選出方法を選挙制に置き換えれば、このような古代の執政王制は、今日の民主的な選挙制度を通しての大統領や首相の選出と大差は無いことになります。
 
しかしながら、‘執政王’には、特定の血統の保持者でなければならないという世襲制という問題が付きまとい、この世襲制が国家の命運を左右してしまうという欠点があるのです。その欠点につきましては、次回扱います。

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