時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

トランプ次期大統領のイスラム教徒の移民批判はヘイトスピーチか論理的帰結か

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。移民推進政策の問題点をめぐりまして、本日は、特に、イスラム教徒の移民の問題について扱ってまいります。
 
トランプ次期大統領のイスラム教徒の移民規制発言は、マスコミや米国の現政権からは、偏見によるヘイトスピーチであるかのような扱いを受けている、と言うことができます。では、本当に、ヘイトスピーチなのでしょうか。先進的教育制度のもとに、十分な教育を受けている国民の多い米国の大統領選挙の結果は、イスラム教徒移民には、移民規制の実施が望まれるほど、論理的に警戒されざるを得ない問題が潜んでいる可能性を示しています。では、イスラム教徒の移民は、なぜ、危険視されるのでしょうか。
 
イスラム教徒移民の間から、無差別・自爆テロを行う過激思想の持ち主が頻繁に現れて、ヒューマニティに反する事件を起こしている点は、当然、警戒される理由となりますが、その理想とする世界観の違いの問題を、ここで指摘しておきたいと思います。
 
宗教観や宗教的信条は、その人の人となりやメンタリティーに大きな影響を与えるものです。そして、社会とは、人々の集合体ですので、国民がどのような宗教観や宗教的信条を持っているのか、といった点は、当該国家が目指すべき理想の国家観、世界観ともつながってまいります。そのメルクマールとなるのは、‘天国観’であるかもしれません。
 
米国社会を構成している米国民の多くは、キリスト教者でありますので、キリスト教の‘天国観’はどうであるのか、といいますと、「神のみもとにある」と表現できるかもしれません。光に満ちた慈悲深い神様のもとで、人々が心の安らぎを得て、みな平和に存在していることになります。「神のもとの平等」という言葉は、こうした天国観にもとづくものでもあり、キリスト教徒は、なるべく、地球上にも、天国のような社会をつくろうと努力し、基本的権利や人権を保証する制度を整えてきた、と言うことができます。
 
一方、イスラム教の‘天国観’とは、『コーラン』によりますと、「美女にかしずかれて、安逸に暮らしている状態」ということになります。すなわち、天国に存在している人々の間には、上下関係があり、‘上’となることを理想としていることになります。したがいまして、仮に、地上に、イスラム教の天国のような社会をつくろうといたしますと、‘下’になる人々が必要となり、誰もが‘上’となろうとして、息苦しい世の中になってしまうことになるのです。もしくは、「神のもとの不平等」があってもよい、ということになり、独裁制奴隷制を容認してしまう結果ともなるでしょう。また、イスラム教徒の間で、自爆テロを行うテロリストが多い理由は、もしかしましたら、「天国へ行ったら、美女にかしずかれて、安逸に暮らすことができる」と説き伏せられ、現実の生活よりも、天国の方がよい、と考えてしまうからなのかもしれません。
 
したがいまして、米国内に、イスラム教徒の移民が増加いたしますと、‘理想の世界観’の相違は、キリスト教精神にもとづいた自由・平等・博愛を唱える米国の国家理念、国家像をめぐり、大きな問題となってくるわけです。

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(続く)