時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

譲位提案によって開かれた‘日本国民の統合の象徴’の解釈をめぐるパンドラの箱

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。天皇の譲位問題をめぐりましては、政府の有識者会議におきましても議論が紛糾しているようですが、そもそも、この問題につきましては、これまで皇室制度が抱えていた問題点が、表面化してしまい、収集の着かない状態になっている、と表現できるかもしれません。
 
このような問題が発生した原因のひとつとして、天皇をめぐって、「日本国憲法」における国事行為を行う役割とする規定と、「皇室典範」による事実上の‘終身制’とする規定とが、両立していないことにあることは、11月6日本ブログにて指摘させていただきました。‘天皇による国事行為’の連続性と崩御時の皇位継承とを両立させるためには、崩御の瞬間まで、天皇は国事行為を行わなければならないのです。そこで、高齢となった場合の対応策として、‘摂政’、すなわち、臨時代行者を置くことが想定されていることは、昭和39(1964)年に「国事行為の臨時代行に関する法律」が定められていることにおいて明らかです。国事行為を行うことが不可能となった時点から崩御までの間、臨時代行者・摂政を置くことが、日本国の法律によって定められていることになるのです。
 
このことは、天皇という地位は、‘日本国民の統合の象徴’という自らの意思を反映させてはならない地位であるがゆえに、臨時代行者・摂政が行っても、すなわち、誰が行っても構わない、何の問題も生じない地位である、と言うことができるのです。
 
従いまして、天皇といえども、日本国の法律に従わなければならないことは、論を待ちません。有識者会議におきましても、譲位反対論が多かったように、実は、臨時代行者・‘摂政’の設置で、済まされることなのです。
 
ところが、何らかの理由から、今上天皇は、譲位に拘っているようなのです。そして、今上天皇一代の譲位、もしくは、譲位制度の創設という提案は、臨時代行者・摂政の設置を拒否しているだけに、あたかも、パンドラの箱が開かれたように、天皇の地位とは、何であるのか、‘日本国民の統合の象徴’とは、具体的にどのような意味であるのか、というさらなる問題を呼び覚ます結果となっている、と言えるのです。
 
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(続く)