時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

記紀神話が伝える世襲制の欠点

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。記紀神話は、天照大神とその弟神であるスサノオノミコトとの間に、有能対無能、人格者対破壊者、防衛者対侵略者といった明瞭なコントラストを描いている点におきまして、ユニークな神話であると言うことができます。
 

このように敢えて姉神と弟神といった極めて近い親族の間における強いコントラストを設定したのは、兄弟姉妹はもちろんのこと、直系の親子の間でも、その能力や性格には相当の違いがあり得るという歴史の教訓を伝えていると考えることができます。すなわち、『日本書紀』も『古事記』も、世襲制の持つ欠点を神話の形で後世に伝授したとも解釈できるのです。この教訓は、今日においても考慮されるべきことです。

 
この点について、『日本書紀』と『古事記』に記された歴代天皇崩御の年代には、興味深い傾向を見出すことができます。奇妙なことに、『日本書紀』と『古事記』とでは、同一の天皇でも在位期間や崩年に違いがあり、『古事記』の方が『日本書紀』の紀年に基づく年数よりも相当に短いのです。それでは、何故、こうした違いが生じたのかを推測してみますと、過去の記事でも述べましたように、『古事記』は、天皇が「治天下天皇」、すなわち、執政者であった時代があったことを伝えてはいるものの、その任期は、短い年数に制限されていた可能性を示唆させているです。
 
一方、我が国現存最古の正史『日本書紀』は、天皇の主要な役割を神祇祭祀に置いており、統治と祭祀との役割をめぐる『古事記』との見解の相違は、古代史の謎を深めているとも言えます。尤も、7世紀後半には、この問題には、およそ決着が付いています。権威と権力との分離が天皇上皇の間で顕著になり、完全分離体制となるのは幕藩体制以降となりますが、7世紀後半頃から、天皇位に幼少の皇族が就く現象が現れるのです。
 
 今日、象徴天皇という新たな役割に加えて、譲位(生前退位)問題には、諸外国勢力の背景も見え隠れしています。さらには、昨日の記事で指摘しましたような皇統の継続性に関する疑惑も生じています。天皇をめぐる問題につきましては、皇統に関する疑惑も含めまして、記紀が伝える世襲リスクを十分に考慮する必要があるのではないでしょうか。

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(続く)