時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

現在の皇室と”世界支配”との関係とは

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。大航海時代以降の近代への移行期における”世界支配”の問題は、ヨーロッパ諸国によって齎された問題であって、その被支配地域は、非ヨーロッパ地域に限定されていたと考えられがちです。しかしながら、”世界支配”のシステム構築の願望は、ヨーロッパ自身をもその構想の内に含めており、それは、今日に至るまで、世界史の本流においてその水底を脈々と流れていると思われるのです。
  
では、どのような手法において、このような世界支配システムの構築が図られたのでしょうか。特に、アジア諸国において行われた手法を纏めますと、凡そ以下のようになります。
 
1)王室を断絶させるか、偽者にすり替え、操り人形、傀儡の人物に権力を集中させる(独裁化)。
2)王族の中で最も御し易い人物を選定して教育を施し、宮廷クーデタを起こさせて王位に就かせる。
3)現地国民の中から自らの手先となる人物を一人、または、数人を選定し、有力者に育てた上で王朝交代、あるいは、新政権を樹立させる。
4)宗教等を利用して、現地国民の中の特に最下層民や不満層を組織し、国家破壊活動に従事させ、内乱、あるいは、革命を起こさせる(武装に際しては、武器を提供)。
5)既存の民族国家には別の民族を送り込み、権力を与えて新たな支配階層とし、間接支配する。
 
スペインやポルトガルが世界支配の先頭を走り、その全盛期を迎えていた頃、アジア諸国におきまして、こうした活動を担ったのがイエズス会でした。日本国でも、当然、こうした常套手段が採られた可能性は決して低くはありません。戦国時代とは、下克上が頻発したことに加え、織田信長天下布武による独裁化の試み、草履取から関白にまでのし上がった豊臣秀吉の謎、徳川家康影武者説…など、日本国の歴史において特に謎の多い時代です。そして、かの本能寺の変の謎も、あるいは、外国勢力との関係がその謎を解く鍵となるかもしれないのです。スペインで発見されたルイス・フロイスの書簡には、信長は、パラッチオ、即ち、宮廷に逃げ込んだと解される一文が残されており、この記述が史実であるとしますと、何故、公家の日記において本能寺の変に関する記述のみが削除されていたり、あるいは、後に改竄を命じられたのか説明が付きます。本能寺の変は、今日流布されている状況とは、まったく異なるものであった可能性を指摘することができるのです。

昨日の本ブログで提起いたしました、皇統の断絶をめぐり、「戦国時代、イエズス会による計略によって天皇の血筋が断絶せられている」という仮説は、本能寺の変をめぐる謎とも関連しています。この試みが成功したのかどうかは、今後の研究を待たなければなりませんが、世界支配のシステムの構築という視点から日本国の歴史をも検証し直しませんと、真の歴史も、そして、今日の皇室問題も理解できないのではないかと思うのです。
 
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(続く)