時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

世界支配志向勢力の動向が幕末史を動かしていた

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。本能寺の変後、1588年のアルマダの海戦によって、イエズス会が手を結んでいたスペイン・ポルトガル勢力は衰退し、英蘭といった新教国が、世界規模で、その勢力を拡大してゆくことになったわけですが、それでは、イエズス会と近い関係にあった世界支配志向勢力もその力を落としていったのでしょうか。
 
12月18日付け本ブログでは、基本戦略の10項目のうちの9として、「どのような手段を用いても勝者の側にまわろうとする。例えば、世界支配志向勢力が支援していたAグループが敗者となり、対立していたBグループが勝者となりますと、Bグループに近づき、Bグループを乗っ取るといった手法を用いるようです」と述べました。
 
この戦略に従いますと、イエズス会士、そして、思想的にイエズス会士に近い世界支配志向グループは、今度は、新教国内で、10の基本戦略にもとづいて陰に陽に活動を行い、新教国の国々の国家権力の掌握を目指すようになったと推測されます。この結果、これらの戦略は、欧米諸国全体に広がり、様々な対立軸とリンケージしながら、歴史の動きに複雑に絡まることとなります。この過程で、世界志向志向グループは、離合集散をも繰り返したことでしょう。
 
17世紀から19世紀にかけて次々に起こったピューリタン革命、名誉革命フランス革命など、欧米諸国で起こった様々な‘革命’、そして、革命後政権とも、この問題は深く関わっているようです。世界支配志向勢力の傀儡の王族・政治家・官僚は、世界支配の手先として、”主人”の利益の為に国家権力を用いようとしますので、当然に、一般の国民を含むその他の人々との間に深刻な摩擦が生じさせることになるのです。ただし、10の基本戦略を踏まえますと、表面上は、一般国民の味方を装う場合もあったようです。

世界支配志向勢力の浸透によりまして、欧米各国は、内政・外交の両面ににおいて分裂と混乱に直面しましたが、世界史の教科書は、殆ど、国家を中心にしか歴史を記述せず、この世界支配志向勢力の動向については、人々の意識の外に置こうとしています。

12月12日付本ブログにて、現在の‘皇室’をめぐる血統の断絶問題として、「幕末に、薩長連合によって、天皇の血筋が断絶せられ、明治天皇が立てられた。孝明天皇ラストエンペラーである。すなわち、19世紀後半に古代の天皇の血筋は断絶している」可能性について指摘いたしました。幕末の問題につきましても、本能寺の変後の世界支配志向勢力の動きがその背景にあると推定し、陰謀論として片づけることなく、学問的にも精緻な検証を加えねばならないのではないでしょうか。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


(続く)