時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

本能寺の変以降も世界支配計画は進められている

 本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。本能寺の変は、天正10年6月2日に起こっております。本ブログにおきまして、『日本書紀』、ならびに、『聖書』「ダニエル記The Book of Daniel」「暴露録(黙示録)The Revelation」によって、エニグマ的な法則、すなわち、「0・1・2・6の法則」が存在しており、最後の審判の日をめぐる年月日につきましては、例えば、今年が西暦2016年でありますように、この法則にもとづいた年月日は、注意を要することを指摘いたしました。本能寺の変は、まさに、この法則に適った年月日に生じております。そして、今日、世界の大多数の国々で採用されている暦法グレゴリウス暦は、この天正10年の西暦1582年に、ローマ法王グレゴリウス13世によって制定された暦でもあります。
 
本能寺の変は、この観点からも極めて興味深い事件であったと考えられるのですが、変を計画したと考えられるある特定の思想を持った世界支配志向勢力は、変の背後にイエズス会の影が見えるように、特定の国家(政府)ではありません。昨日、本ブログにおいて述べました10の基本戦略を用いて、多くの国々の国家権力を、次々に掌握してゆくことによって、世界支配を確立させようとしている国際勢力であると言うことができます。
 
こうした勢力によって国家中枢が乗っ取られ、傀儡とされてしまっていますと、国家の意思決定にかかわる権力も奪われますから、表面的には、傀儡国家の行動は、その国家・国民自身の行動として見なされがちです。しかしながら、その実、「世界支配志向勢力主権」の手足に過ぎないのですから、傀儡化された国家、並びに、国民は、世界支配志向勢力の犠牲者です。”彼等”によって決定された内政外交にかかわる政策に従わなくてはならならず、また、意に反して行われた行動が、国際的な非難を受けた場合には、その国家・国民のイメージがダウンするのですからです。
 
さて、「0・1・2・6の法則」が、最後の審判の日という人類の未来にかかわる法則であることに示されますように、この勢力は、本能寺の変以降も、世界各地で暗躍し、アジア諸国のみならず、欧米も含めた世界各地で、10の基本戦略に沿った世界支配計画を進めていたようです。そして、幕末史にも大きな影響を与えているようなのです。

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