時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

英国をターゲットとした世界支配志向勢力

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。明治体制の成立は、記紀神話スサノオノミコト伝説によって示唆されるような危機が、皇室の親族・姻戚関係によって、発生する可能性を示しており、仮に、専制体制が成立しますと、その体制は、まさに、世界支配志向勢力の目的と一致します。では、どのようにして、世界支配志向勢力は、日本において、その計画を遂行したと推測することができるでしょうか。

イエズス会そのもの、もしくは、同会と近い関係にあった世界支配志向勢は、1588年のアルマダの海戦以降、スペインやポルトガルの替わりとなる勢力として、特に、新教国となった英国に接近したと推測することができます。10の基本戦略に(9)には「どのような手段を用いても勝者の側にまわろうとする。例えば、世界支配志向勢力が支援していたAグループが敗者となり、対立していたBグループが勝者となりますと、Bグループに近づき、Bグループを乗っ取るといった手法を用いるようです」と指摘しました。アルマダの海戦の戦勝国であり、「7つの海」を支配しつつあった英国は、世界支配を確立させるための、格好の寄生国家として映ったはずなのです。
 
そして、この動きにおきまして、「幕末に、薩長連合によって、天皇の血筋が断絶せられ、明治天皇が立てられた。孝明天皇ラストエンペラーである。すなわち、19世紀後半に古代の天皇の血筋は断絶している」可能性が生じます。この種の主張におきましては、常々、英国の名が上がります。その理由は、武器商人であったグラバーといった民間人のみならず、幕末に英国外務省のアーネスト・サトウなども来日し、かなり長期にわたって滞在している点を挙げることができます。実際に、この説を裏付けるような活動を行い、‘天皇すり替え’説に信憑性を与えているのです。
 
ここで特に、注意を要さなければならない点は、こうした活動を行ったのは、英国という国家そのものというよりも、英国に寄生、もしくは、英国の国家権力を乗っ取っていた世界支配志向勢力によって行われた可能性が高いことです。10の基本戦略を踏まえますと、当然、英王室に接近したと推測することができるのです。
 
今日、世界史、幕末史のみならず、‘皇室’問題も含めた現在の世界情勢について考える場合、おそらく、18.19世紀に英国において起こった世界支配志向勢力による英王室の傀儡化という出来事を抜きにしては、正確に分析することはできないのではないか、と考えられるのです。

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(続く)