時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

記紀神話が伝える民主主義思想

本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。大政奉還に代表される天皇を中心とした体制の確立、すなわち、明治維新は、国家神道の創設に示されますように、表面上は、高天原の世界の地上における実現を目指した理解されえます。明治体制が内包する危険性を考える上で、記紀神話は示唆的です。

何度も、本ブログで述べておりますように、天照大神の親族である素戔嗚尊による高天原に対する破壊活動(国家破壊)は、粗暴で統治能力の無い人物が、親族・姻族関係によって支配者となった場合の専制体制の恐ろしさを表現しております。

しかし、記紀神話は、ここからが面白い展開となります。支配者無き高天原はどうなったのか、と申しますと、暗闇として表現されておりますように、アナーキー状態となったか、もしくは、素戔嗚尊による独裁体制が敷かれたと考えられます。すると、八百万の神々は、誰の助けも求めず、自発的に天安河に集い、アナーキー状態からの回復、素戔嗚尊の追放を決定するのです。この神話は、明らかに、民主主義思想を表現しています。記紀神話は、国制の選択という意味において国民が主権を行使したことを語る実にユニークな神話なのです。

明治維新の背後で暗躍した世界支配志向勢力は、明らかに非民主体制を志向しており、最終的には、素戔嗚尊タイプの支配の確立を計画しているのかもしれません。このように考えますと、八百万の神々側、すなわち、国民側が素戔嗚尊の追放を決定する展開となっていることは重要なのです。今日にありましても、こうした計画に対しては、一般の人々が、自発的に対応策を練ることの必要性が示唆されてくるからです。幸運なことに、今日、多くの国々が選挙や国民投票といった民主的制度を有しており、こうした制度は国民が自分自身を救うために存在しているとも言えます。

『聖書』と同様に、預言思想を内包している記紀神話は、人類史上、将来、素戔嗚尊タイプの専制権力が出現する場合を想定しており、その抵抗力となるのは、人々の意思と能力であることをも、歴史の教訓として伝えているような気がするのです。

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