時事随想抄

歴史家の視点から国際情勢・時事問題などについて語るブログ

イルミナティーによる憲法改悪のリスク

今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、マッカーサーキリスト教的倫理観や世界観が、『日本国憲法』の制定に影響を与えていた点を指摘いたしました。読者の皆様は、このような影響は、日本国のキリスト教国家化、そして、日本の伝統宗教の否定に繋がっているのではないか、とお考えになるかもしれません。しかしながら、マッカーサーの唱えた、「何億という文明の遅れた人々が、人間の尊厳、人生の目的という新しい考えを身に付け、強い精神力を持つようになる」とする思想は、キリスト教において、特に強調されている思想であると同時に、普遍性のある思想であると言うことができます。従いまして、日本におきましても、古来、同じような思想はありました。
 
日本の神道における天照大神の天の磐屋からの再登場とキリスト復活と再降臨との間には、以下のような共通点があります。
 
高天原において八百万の神々(人々)のために、五穀豊穣、殖産、社会インフラの整備、国家防衛に心血を注いでいる天照大神の役割は、この世に理想の世界を築くことに力点を置くキリスト教の精神に通じている。
素戔嗚尊という暴力主義者の登場による天照大神の一時喪失(天の磐屋隠れ)と天の磐屋からの再登場は、キリストの復活と最後の審判の日における再降臨に通じている。
八百万の神々(人々)が、衆議して暴力主義者を排除する過程は、民主主義の原型とも言え、キリスト教的民主主義思想に通じている。
 
このように、神道キリスト教には、思想的共通点があることの理由は、神道キリスト教が、共通の古代宗教の流れを引く宗教であることにあるのですが、ギリシャ哲学などもその影響を受けているように、人類の普遍的政治倫理、世界観であるとも言うことができるのです。イルミナティーに乗っ取られる前のフリーメイソンの思想も、人類の普遍的政治倫理、世界観に基礎を置いていたようです。
 
現行の『日本国憲法』には、様々な欠点もあるため改憲が必要とされてはいるものの、今日、多くの日本国民が、イルミナティー主導の‘改悪となるぐらいなら現行の憲法でよい’と考えている理由は、この点にもあるのではないでしょうか。

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(続く)